「正しくある」ことの強さ


こんにちは。りのです。
最近はもお仕事で多忙な日々を過ごしているので、noteの更新がままならない日が続いています。もし、更新を待ってくれている方がいらっしゃったなら、申し訳ありません。

久しぶりに書くnote。ある意味当たり前のことですが、最近はたと振り返ったことを書こうと思います。

ざっくりした内容は、「理不尽には正当性で勝つ」ということです。

私には近頃悩みがあります。悩みといいますか、ストレスと言いますか。原因は、「特定の人にだけ大きな声を出す人間の存在」です。残念ながら、いろんな場所にいますね。

私の身近にも最近現れました。そして、その人の「特定の大きい声を出せる対象」は、残念ながら私になってしまいました。顔を合わせた日は1回は敢えてきつい言葉をかけられます。
普通の女の子なので、大きい声やきつい言い方で話しかけられると怖いです。嫌な思いをします。そんな言い方しなくてもいいのに…と辛くなります。

そしてなにより、イラッとします。

なんでそんな言い方されなきゃいけないの?
同じことほかの人にいう時はそんな言い方しないよね?
あたしにそれだけ言えるだけの仕事してるの?
なんでわざわざ人を不快にさせようとするの?

そんな疑問とストレスがたまりに溜まり、先日私は仕事を途中で切り上げて早帰りをしました。もう限界でした。泣きたいけど泣くのは悔しい。怒りたいけどそれでは同レベル。どうすればいいのか分からず、下唇をきつく噛んでいました。

どうすればいいのか、感情的な頭で考えても、大体はうまく行きません。しかし、今日は珍しくまともな考えに至ったのでそれを書きたいと思います。

「正しくあること」です。

正しくあることは、なかなか難しく、正しくあっても理不尽なことは起こります。現状の私の7割くらいは正しくても、残りの3割で上手くいかず、そこにつけ込まれるのです。理不尽な人は、1つでも粗を探して叩くネタにします。暇ですね。

ただ、「正しくある」ということは、身を守るために使うのではなく、戦うための武器になるのです。

理不尽と戦う上で、注意すべき点は「同レベルにならないこと」です。同レベルのことをした時点で負けです。根本の解決にはならないから。「やられたらやり返せ!」とはよく言いますが、やり返すのでは意味がありません。「もうしない」と思わせる意味があるのです。

ただ、相手が「もうしない」と思わせるために、こちらも理不尽で戦ってしまっては、「あいつも同じことしたからこっちもしてやる」というチャンスを作ってしまうだけ。これでは無限ループですね。根本的解決には繋がりません。

そこで、「正当性」です。
正しい事を言われてしまうと、相手は何もできません。それに対して対抗するのは、そもそも周囲の目が気になります(元々周囲の目が気になる人は理不尽な事はしないのか?そんな気もしますが気づかなかった事にします)。

周囲の目が気にならなくとも、少なくとも「周りは見て」います。理不尽と正しさを見比べて、明らかに正しくある方に賛同を得られるはずです。

正しくあることは武器です。戦うための。
ゴミのような理不尽と戦うための武器。
なにか特別な才能もいりません。
その分野でだけは正しくあること。
それが人と戦うための最強の武器なのです。

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