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へこたれても、また何か見つけていく

何かびっくりするようなことに出会った時、ふと思い返してしまうのは過去の嫌〜な思い出。
それがまた起きてしまうんじゃないかとか、その時の辛い時間を過ごさなきゃいけないんじゃないかと、体は拒否反応を起こし始めます。

でもそのことに気づいているのなら、過去を繰り返さないように予防線を貼ったり、改善することはできるはず。
そういう気持ちを思い起こして、怖さに対抗できたなら、自分は変わるかもしれない。

これは昔の自分だったら言えなかった言葉だと思う。
知らないうちに、いつの間にか自分はどっしりとしてきたのかもしれない。
もちろん怖さが全て拭えたわけじゃないのだけど。

例えば、人とのお付き合いで、相手が自分に対して支配的になったり、自分の主張を受け入れてもらえないような人だったら、昔は「従うしかない」とか「耐えるしかない」という発想だったけど、今の自分だったら「一旦距離を置いておこう」とか「最終的に分かり合えないなら自分の場所を自分で用意しよう」と思うようになった。
寂しいとか悲しいという情緒と、自分にはそうするしかないという諦めを超えて、自分はここにいていい、そのままでいいと自分に許すことができるようになったのかもしれない。

分かり合えないことは一瞬は辛いとか怖いがあるけれど、長期的に考えれば相手のためにも自分のためにもならないのだ。
そう考えてみると、一瞬へこたれたとしてもその先には何か絶対に良いものがある、学びがあると諦めずに進むということが大事に思える。
相手との議論に折れるとか折れないとか、そういう話以前に、自分の芯の部分で自分に対して折れてしまうことが一番辛いことだと思う。

自分の可能性を自分で経ってしまわないように。
へこたれたとしても、絶対にその先に見つけられるものがある。
だから、自分の存在をなくしてしまえばいいとか、折れてしまえばいいとかそんなふうに思わないでほしい。

社会に負けるとか、相手に負けるとかじゃなくて、まずは自分の可能性に負けないでほしい。まず圧倒的に自分を信じてみよう。

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