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大切なことは日々の中にある

例えば誰かが人生を変えて、その姿を見たとする。
YouTubeやinstagram、アメブロ、note、さまざまな媒体で変わっていくその人を眺めて、「何がその秘訣なんだろう?どうすれば自分も変われるんだろう?たまたまアルゴリズムの波に乗ったのかな?」そんなさまざまな憶測が頭の中をよぎる。
大して自分を変えようと思っていなくても、その人の清々しい姿を見て、どこか引っ張られる自分がいる。

自分の中の潜在的な部分に、「まだ自分の人生はこんなものじゃない」という意識があるから。でも、そのモヤっとした部分を言語化もせず、認めもしないで、現実にありもしない過去の考察や起こりもしない未来にビクビクしているから。
人間というのはとてつもなく怠惰な生き物だから、気を抜いていると周りに流され同化してしまう。周りが言ういい方へいい方へと流されていく。
でも、ビジネスの世界は甘くない。いい方へという謳い文句を盾に、人からお金や時間を奪っていく。一瞬の快楽や中毒をスライスしては対価と引き換えに渡してくる。

私がPodcastで発信活動を始めた時から、大事にしている言葉がある。それは「日日是好日」と言う言葉で、初めて出会ったのは茶道教室の掛け軸だった。
「毎日どんな時も良い日であると言う意味よ」と先生が言ったけれど、どこか引っかかっていた。その言葉は、時間を増すごとに深く私に意味を与えることになる。
辛いことがある日、体調が悪かった日、嬉しくて飛び上がった日、それぞれに味わいがあり学びがある。そういう日々の中に大事なことがあると教えてくれている。

仏教では、「未来」から「過去」へ時間が流れるという考え方があり、生まれながらにして人は唯一無二の存在で、苦悩の渦巻く世界で絶対の幸福になるために人間として生まれた、という考え方がある。

なのに、私たちはなぜこんなにも過去に囚われ、自分を認めることも、幸福を感じることもできずらい状況にあるのか。
それはやっぱり、今目の前の日々の生活から学べていないからなんじゃないか。過去からじゃなくて、未来からの逆引きができていないからなんじゃないか。絶対の幸福になれる自分を信じていないからなのじゃないか。

大事なことは圧倒的に日々の中にある。
そしてそれは未来から与えられているものでもある。

そんなことを思っている最近。
大事な人へお手紙を書くように、メルマガを始めることにしました。
こちらでは、主にマインドの話をしようと思います。
季節や心と体、暦、星、仏教、老荘思想、中国哲学、神話、心理学、さまざまな分野を通じて、私が身をもって学び感じたことを赤裸々に綴っていきます。もしよかったら、覗いてみてくださいね。


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