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ジャッジメンタルな世の中に疲れた時に読む話

とかくこの世の中はジャッジメンタルです。令和に生まれた赤ちゃんやZ世代はともかく、昭和や平成生まれのアラフィフ・アラフォーは特にそういったジャッジメンタルな時代を生きてきたと思います。そんな世の中をどうかいくぐって生きていくかが大事なことだったのではないでしょうか。

「女だから男だから」「〇〇卒だから」「会社員だから個人事業主だから」「容姿端麗だから、太っているから」そんなふうに、性別や肩書き・外見がものをいう世の中だったし、今もその流れは幾分か残っているのです。

だけど時代は令和になり、多様性が叫ばれている世の中で、こんなジャッジメンタルな言葉に触れれば触れるほど疲れを感じる人が増えているように思います。

ジャッジされている側も「同調しておくべきか」と関係性を気にして気を使うし、ジャッジしてしまった側も「言うべきではなかったか」と後悔することもあるでしょう。

さて、ではどのように生きていければお互い楽になっていくのでしょうか。大事なことは「事実確認」をすることではないしょうか。

正義と悪、白と黒で分けてしまうことは簡単だけれど、この世の中はそんなに単純にはできていない。だからこそ、「あなたはそう思うのね。私はちょっと違うけれど」と言ったスタンスでいることが気を楽にしてくれると思うのです。

無理に同調する必要もないし、人間それぞれ違うのだから同じであるはずがないから。でもたまたま「そうだね!」と共感することは、大いに共感の喜びを味わえばいい。けれどそれを相手に強要するような態度は、苦しみを生むかもしれない。

「違って当たり前」という感覚で、お互いの事実を確認し、共有できることは共有し、違うことには違うということだけを理解しそれ以上踏み入れない。「私は違うけどね」と心の中で呟けばいいのです。

冷たい、そう思われるかもしれない。けれど、ジャッジされた!と思って感情的になりそうな時ほど、距離を空けてみることが、自分と相手を助けることになるかもしれませんよ。

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