マガジンのカバー画像

断片

28
短編
運営しているクリエイター

記事一覧

やさしさ

やさしさ

駐輪場の奥、草むしりもおざなりの誰かの家の庭であろうそこはいつも目も開けずに挨拶をしてくる猫が根城にしている場所だった。日当たり悪く、夜になるとひとつだけ紐に吊るされた裸の電球が息絶え絶えに光を吐くような視界が悪い場所で、庭というより小さな小さな空き地のようで、それでも猫はその場所で、ここは自分の城ですとでもいうように毎日目も開けず足も体の中に隠したまま、駐輪場に向かう私に挨拶をしてくるのだった。

もっとみる
生活を飼う

生活を飼う

階段を降りて左手の駐輪場へ向かうとき、朝ゴミを捨てて部屋まで戻るとき、1階の他人のベランダをいくつか見る。毎回特に変わりがないが、なにか変わったことはないかと少しだけ覗く。階段に一番近い部屋が空き室になった頃、その2つ隣のベランダにハムスターのケージをみつけた。
勿論冬なので外でハムスターを飼っているわけではない。ケージはからっぽで、天井部分がなかった。最近外に出したのだろうか。この部屋に住んでい

もっとみる
二月

二月

もうずっと、前髪が伸びたままである。美容院にはあまり行けないから、ひと月おきくらいに自分で切っている。いつもがたがたになってしまうが、誰に見せるわけでもないのでそれでいい。でもそれも最近はめっきりしなくなった。はさみをもつことがなくなってしまった。料理は元々ほとんどしないが包丁をもつこともできず、先日危険ゴミの日にぐちゃぐちゃの紙の皺を伸ばし何枚か重ねてぐるぐる巻きにして捨てた。
刃物が怖くなった

もっとみる
地獄じゃあるまいし

地獄じゃあるまいし

年末、今年最後のゴミの日。日が昇るのを待って、パジャマのままでクロックスをひっかける。片手に燃えるゴミ、もう片手に生ゴミの袋を持って団地内のゴミ置き場を目指した。これから一週間くらいゴミの日がない。念入りに部屋の中をうろつきまわって確認したけど、おもったよりゴミは少なく1袋の3分の2くらいしか埋まらなかった。鼻がむずむずしてたわけでもないのに無意味に鼻をかんでティッシュを袋に入れてそのまま封をした

もっとみる
低所得アルバイターとチョコレート、小説家を目指すことはなく

低所得アルバイターとチョコレート、小説家を目指すことはなく

チョコレートを一粒口に放り込む。ダイエットだなんだと毎日のようにいっていてもチョコレートだけは無意識に食べてしまう。大袋のチョコレートの外装に一粒あたりのカロリーなど書いていないのだから、実質0カロリーである。机の上のチョコレートのつつみはよっつになっていた。一粒が0カロリーなのだから、よっつ食べても0カロリーに違いない。

夏のあついあつい日にエアコンの設定を最低温度にして薄い毛布にくるまるよう

もっとみる
まばゆい

まばゆい

「あ」

 テレビの下に設置されている小さな冷蔵庫の蓋を開け、しまった、と思ったら声が出ていた。ベッドに座りながら脇のテーブルにある灰皿に用がある彼は体を前に傾けながらこちらをちらりとも見ずにどうしたの、と聞いてくる。興味のなさそうな声。それが当たり前じゃないのに当たり前のようでなんだかすこし不思議だった。パンツすら履かずすっぱだかの私がここにいることはある意味偶然で、それでいて必然的なものだ。必

もっとみる
またね幻

またね幻

 夕方の空はオレンジ色。そんなこと誰が決めたんだろう。あの頃のわたしは、オレンジ色に縋っていた。あつくてなにもかもを壊してしまいそうな、そんなオレンジ色。だって、世界が滅亡する瞬間はぜったいに夕方だから。世界が滅亡してわたしがしあわせになるのはぜったいに夕方だから。だから毎日の夕方の空がオレンジ色であることにとても安心していた。
 ノストラダムスはもういない。予言なんてたくさんあるけど、道端の占い

もっとみる
神さまもわらう

神さまもわらう

毎日、昼になる前に郵便局にいく。毎日、毎日、変な柄の封筒に似合わないシールを貼って、普通郵便でお願いします、と小さな声で言う。お手紙を机の上にだして、切手代の82円をぴったり渡して、笑顔の店員さんの顔を見る前にそそくさと郵便局を出る。それから、家に帰るとすこしだけお昼寝をする。目覚めると夕方になっていた。日照時間が夏の間よりすくなくなってきている、となにかのニュースでみた。お湯とひえたごはんを用意

もっとみる
前髪切ったことにもきづいてほしかった

前髪切ったことにもきづいてほしかった

じぶんの名前を呼ばれていることに気付くまで数秒かかった。声は聞こえていたのに、ことばは聞こえていたのに、その単語の意味を理解するのにぼくの頭のなかにあるグーグルで検索してから検索結果がでるまでがやけに遅かった。この速度を単純にぼくの持っている脳内のノートパソコンのスペックだと仮定すると、とりあえずデータの整理すらせずに電気屋に走るな、と思った。
一度失敗したらおわりなのだろうか? もうがんばるこ

もっとみる
春のめざめ

春のめざめ

サイレンの音が煩い。日曜日と一緒に、春まで連れてきたような耳をこそぐる音がいつもよりひどく高く聞こえて、アルコールを飲み干す自分の喉の音で掻き消した。

なにかがはじまるのは春だとか、日本ではよく言うけれどそう実感したことはない。テレビで花見の特集をしていても、実家ではまだ雪が降っていた。冬じゃないか。まだ蕾どころか葉さえついてない桜の木に雪は引っかかることなく落ちていく。いまだ死んだままの桜なん

もっとみる
思い出したように愛を叫ぶのはやめろ、吐き気がする、嫌いになりたくはないのだ

思い出したように愛を叫ぶのはやめろ、吐き気がする、嫌いになりたくはないのだ

眩しくて彼の顔がみえなかった、
今はしないカレーの匂いとパソコンの起動音。
何て言えばよかったんだろう、どうやって挨拶すればよかったんだろう、どうすれば、綺麗に、別れることができたんだろう、
そうも思ってないくせに、と何も考えてないふわふわな脳味噌に青りんごサワーを注ぎ込んで封をした。ゴミ箱に捨ててしまったものを、取り出すことは誰だってしたくない。

あの日、誰もいない高速バス乗り場を想像した。期

もっとみる
敢えて見逃したその余白に組み込んだ時間と、その遺体

敢えて見逃したその余白に組み込んだ時間と、その遺体

どうしようもなくなって、愛しい彼女の優しさを見殺しにした。大きな声は周りを白く縁取られて、そのまま遠くまでとんでいった。彼女は悲しいふりをして、それでその場所を離れようとはしなかった。きっと無駄に死にゆくものを、またつくったところで、誰も癒されないのだ。僕はそんなものに癒されないし、縋らない。もう、なにが意地なのかわからなくなっていた。

コンクリートの床の所々に金属がはまっている。点々と凹凸が足

もっとみる
幸せになりたいなんて、そんな贅沢が許されると思ってるの?

幸せになりたいなんて、そんな贅沢が許されると思ってるの?

 横になったまま泣くことが多いから、あふれた涙が頬を伝って耳に入る。そのまま涙が耳を蓋して、なにもきこえなくなってしまえばいいのに。包丁を使い慣れていないから、猫の手も未だにできない。扱いが雑すぎるから、包丁の逆鱗に触れて指を落っことしてしまえばいいのに。些細なことで坂道をころげおちる心臓なんて、崖の底で誰にも見つからずに腐ってしまえばいいのに。
 わたしの部屋はもうあの四畳半じゃない。牢獄みたい

もっとみる
(    )topia

( )topia

ディストピアなんてむずかしいことばをつかっても、世界は何も変わらないしかわったのはぼくかもしれないし。でも案外、宇宙人が地球を侵攻してくるとかどこかの国がミサイルを発射するとかそういうことより友達の左手の薬指の付け根に切れ目のようなものがあって友達のことがほんとうに人間かどうかわからなくなった、みたいなことのほうがね、案外。そういう世界があったってぼくはぼくなんだけど。ユートピアを作る前にぼくはあ

もっとみる