シーサイド

画面の向こうでは雪が降っていた。毎日太陽が昇るぼくの街とは違い、顔をあげて見えるものはいつも揺れる水面みたいな白い雲でそこから落ちてくる雪で前も見えないらしい。こんなに違うのに同じ冬というものだとは思えなくて本当?と聞き返した。ぼくと同じ冬の中にいる君が電話越しに本当、と言い小さく笑う。なんとなく気付いてはいたけど、君が言葉を発するとき、言葉と一緒に白い息が零れ出ているのがわかった。電話越しなので何も見えないし音以外何も伝わってこないのだけど、それでも君がなにか喋るのと同じタイミングで呼吸音がして、それが白いのが直感的にわかった。雪が降っているくらいだから、ぼくの街とはくらべものにならないくらい寒いのだろう。試しにぼくもなんとなく息を吐いてみたけど、こちらだって寒いとはいえ息は白くはならなかった。目に映らないというのはいつだって曖昧で不明瞭だ。常に考えていることではないけど、ぼくは咄嗟に自分が本当に呼吸をしているのかわからなくなって少しだけ背筋を震わせた。何も喋らないぼくにむかってどうしたの、と君が尋ねる。なんでもない、と言ってみたけど君はなんだか不満そうで、口を尖らせたようなふーんという返答が返ってきた。本当は、わかっていたつもりだったけど生きているということが怖くてたまらなかった。君は少し考えるように黙って白い息を漏らしながら大丈夫だよ、と言った。

いつも通る道が工事中になっていた。白い壁のような枠に視界を阻まれていたから中で本当に工事をしているのかはわからないけれど、ご迷惑をおかけします、と頭を下げる人間の形をしたものが頭を下げる看板が近くに立っていたのでおそらく本当に工事をしているんだろう。太陽の姿はもう見えていたけどまだ随分暗い。風はほとんど吹いてないものの空気が冷たく首に巻いたマフラーで口元を覆う。道路の向かい側のその白い壁の前を、急ぎ足でどこかに向かっている沢山の人が通り過ぎる。その様子を同じ方向にゆっくり歩きながら見ていたが、比較的男の人の方がマフラーをしている様な気がして不思議だった。女の人が強いというのは寒さにも対応するのだろうか。人ばかり見ていて、気付かなかった。気付いた時には、足が前に進むのをやめてしまう。その場で立ち止まって今度は人ではなく白い壁をゆっくり目線を動かしながらみる。なぜかその前を歩く人間たちはみんな同じように黒いコートを羽織り、同じ方向に歩いている。壁が白いので人間たちが浮かんで見え、それはまるで雪の中の葬列のようだった。気付いた瞬間呼吸が浅くなる。人間はいつか必ず死ぬものなのに、人間の生の後には必ず死が存在するのに、生きているということが怖くてたまらなかった。自分の吐く浅い息が、少しだけ白い気がした。君は優しい声で大丈夫だよ、と言ってくれるだろうか。

画面の中の雪が目の前にあった。たしかにどこにも太陽の姿がみえない。時計を確認するとお昼すぎであるはずなのにまわりは暗く、人の姿もあまりない。本当にここに君がいるんだろうか。不安になったけど、言われたとおりの場所に着いてるはずだ。車がほとんど通ってないのか道路にも雪が積もっている。近くの手すりをすーっとなぞってみると、薄く積もった雪がぼくの手に押されて形を変え、そしてあっという間に足下に落ちた。嫌な予感なんてずっと感じているけど、自分のお腹の音にさえ嫌な予感がするなんてはじめてだった。この予感はいつものものではなく、空腹状態なんだ、と半ば無理矢理信じ込み、とりあえず体をあたためるために開いている建物を探した。が、そんなものは見当たらなかった。建物はある。電気だってまばらについてはいるのに人影がみえない。さっきまでちらほら確認できていた人間の存在も、今はもう確認できない。途端に怖くなってポケットにねじこんだ携帯を探す。履歴から君の名前を辿って、発信用の電話のマークを少し強引に押した。コール音はすぐにして、しばらくしてから君の声が聞こえた。どうしたの、いつもと同じ声だったけど少しだけ違和感があった。今どこにいるのと聞くと、君はふと黙ってその後大丈夫だよと言った。大丈夫。君の言葉を繰り返したときに違和感の正体がわかった。今、白い息を吐いているのはぼくのほうで、君の言葉からそれは感じられなかった。いつもよりあたたかい君の声に安心するどころか自分の足が自分の体を支えているという事実すらよくわからなくなって、倒れそうになったけどそれすらできなかった。生きているということが怖くてたまらなかった。たまらなかった。が、本当にそうなのだろうか。ふと目に入ったのは白い壁で、なんでこんなところにと思った次の瞬間、人間なんて歩いていないのにぽつぽつと黒い塊のようなものがみえた。なんだかはっきりとはわからない。幻覚かもしれない。現状を理解しようと必死なのに頭がうまくまわらない。かたまってしまった手に持たれた電話の向こうで君の声が聞こえる。大丈夫だよ、と言ってくれた。

太陽の見えない君のために、ぼくは君だけの太陽になりたかったんだ。

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