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“自律・前進”

高校の校訓が“自律・和敬”だった。
卒業して9年が経った今さらながら、なかなかに
いい校訓だったなと思う、似合ってるし。

ということを、5ヶ月前くらいに考えた。
5ヶ月前。
それは、2023年が幕を開けたころのお話。

記事タイトルにした“自律・前進”は
わたしの2023年の抱負。
ずーっと思ってはいたのだけど、
気づいたら丸4ヶ月経っていた…
我ながら、さすがに気づかなさすぎる。

この抱負は別に高校の校訓から
とったわけではなく、という話を残すことで
今年の残り8ヶ月を
よりこの抱負を胸に過ごせたらいいな
という願いを込めて。(ぼんやりしてるな)


別に毎年、これといった目標を決めて
途中で進捗をチェックして
リプランしたり…というような性格ではない。
でもなんとなく、
こんな一年にしていきたいな、いや
こんな一年になったらいいなあ、なんて
ぼんやり考えてしまうものだよね。
新年と、誕生日は。

最初に考えていた抱負は、
・だらけない
・後悔しない
という2つだった。

昨年の6月に会社を辞めて個人事業主になって、
自分を律する力が非常に弱く
今やらないためのそれっぽい理由を
思いつくのが非常に得意なわたしは、
この調子でやっていたらやばい、と。
もっと戦略的に・計画的に
仕事をしなければまずいぞ、と思い始めた。
だから、だらけない。

早くももう過去になってしまったけれど、
少し早めの桜が咲いていた頃
自分の中で、
乗り越えなければならない出来事が
あることがずっと前からわかっていて、
年明けの頃は、それを数ヶ月後に控えていた
ので、後悔しない。

でも、この2つを並べたときに
だらけ「ない」・後悔し「ない」と
否定が重なるのが気になった。

どちらもマイナスの単語+「ない」だから
前向きな目標ではあるのだけど、
なんとなく、あれもだめこれもだめって
自分に言い聞かせるような抱負って
あんまり気持ちのいいものではないかも、と。

それで、“自律・前進”に行き着く。

自律はもう、文字通り
仕事も、生活も、自己管理も…
自らを律するという単純なものだけれど、

「後悔しない」を「前進」と置き換えた
年初めの自分を褒めてあげたい。
なかなかいいのではないか?

「後悔」の対義語は「前進」ではない。
「納得」とか「成就」になるのだろうか。
でも、思った。
後悔しても、いいじゃないか、と。
後悔しちゃいけない、と思うと
人生は、毎日は、なかなか厳しい。

とくに今回、抱負にする理由となった
出来事はわたし一人でどうにかできるもの
でもなかったので、
どうしたってきっと後悔するよね、という
思いもあって、その後自分がどうありたいか
を考えていたら、「前進」になった。

後悔しないことが前進ではない。
思い通りに事が進むことだけが前進でもない。
そもそも、自分がどの状態を
「思い通り」と考えているのかも曖昧。
それでも、この一年を昨年までと変わらず、
あるいはそれ以上に
有意義で、充足した、いいものに
していきたい、と思う。

早いところでは入学のシーズンを待たず
桜が散ってしまって、はや1ヶ月ちょっと。

わたしはこの時間を
有意義で、充足した、いいものに
できていただろうか。

まだ振り返るにはきっと早すぎる。
でも、この抱負を心の中に掲げたときの
悲しみと淋しさと不安でいっぱいだった
あの日のわたしが思っていたよりはずっと
思ってもいなかったほどに、穏やかで
これまでと変わりない日々を過ごしている。

今、文字にしてみて気づいたけれど
わたしはそのことがたぶんすごく嬉しいみたいだ。

“自律”に関してはすでに5ヶ月目だけれど、
“前進”においては
まだまだ、歩みはじめたばかり。
2023年残りの8ヶ月も
今のわたしが思っていないような方向に
“前進”できたらいい。


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