「」



なんかさー、
という言葉だけを溢している時期があった

お風呂に居る時    歯を磨いている時    食事を終えて作業に取り掛かろうという時    「なんかさー、」という声だけが頭の中で浮かんで  それは思考が言葉になろうとするはじまりというわけでもなければ  何かを思い出したわけでも  後に続く何かがあるわけでもなかった    なんかさあ  は  何を言っていたんだろうか    何を言っているのか  なんとなくわかっているような  それでいて言葉に嵌めてはいけないような  そんな気がして  ずっとそのままにしていた  ああまただなあとだけ思っていた


ねぇ 、
になった

短くなったなと思った
続いていることよりも  変わったことよりも  短くなったことが気に掛かった    このまま次は動作だけになって  いつか何も無くなるんだろうか
そもそも  こんな言葉の浮かび方をすること自体が不思議だった    会話をつくりだすような言葉だけをぽんと出して  それは何かから繋がっていたでも何かに繋がるでもなく  ただそれだけがそこに実在する  というのは  えらく奇妙な心地だった    それ以上掘り下げたくはなかった
短くなって  より眼前に近寄られたように感じるあぶくは  僕に何をどうして欲しいんだろう    休息を目敏く狙うきみが堪らなく苦しいです  公的文言に甘えないで下さい


ねえ 、しか無いという話をするつもりだったけれど  ねえ 、が有るという話になった    話せる場所が増えるほどに話したいことが減った    言葉を覚えるほどに不自由になっている気がする    



ここまで書いてなんかきもいなあとなって数日
言葉の扱いがらしくなくていやだった  「嫌だ。」というよりも「"いや"だなあ〜」という感じだった    主観でしか感じないものかな  なんかさ  他人の言葉を使っている感じ  二人羽織や腹話術のイメージとはまた違くて    言語を用いる生物の数だけ辞典があると思うんだけれど  まず辞典の中身  色、書式、材質、形、重さ、大きさ、索引、語釈、用例、附録、  そこへ主の癖が掛け合わさって  ぽんと置いたら自然と開くページがあったりとか  蛍光と黒塗の有無やその位置とか  染みた液体の匂いとか  呼吸と同期する往来とか     関係性だって生物と辞典の数だけあるから個性なんて最早有って無いようなものだけれど  それでも同じ辞典は一つとして無い筈なんです  よ  きっと    身体みたいなもん

それをさ    見失ってしまうときも  まああるわけで

それでも無理矢理書こうとするとああいうことになる   

後悔を生むか否かはそこだと思う  他の人は知らないけれど少なくとも僕はそう  叫びたいくらいクサい言葉とか  一の相場で百を投げてしまったこととか  たくさんある  しょっちゅう思い出す  古いnoteもそう  優しい人になりたかった時期とか柔らかい言葉の人になりたかった時期とか  書いた側だからかもしれないけれどさ  べびちゃんがちっさい体躯で羽ばたいている気になっているねえ  よちよちだねえ    それでいいよ  書いた側だから  文字の外側まで全部見えているから  当時自覚していなかった祈りや揺らぎも今なら少しは気付きかけているから    どんなにみっともなくても  しょうもなくても  気持ち悪くても恰好悪くても    自分で書いた言葉は一画残らず自分のだと胸を張っていえる  殴られても踏まれても張る  僕はそうして生きてきた
反対に  とにかく書かなきゃと焦って妥協して完成させたものは  読み易くてつまらない  さして思い出す幼稚も不恰好も見当たらなくて    そんなのあってもなくても同じじゃん    どこかの誰かにとっては違ったというようなことがあるならばそこまでを否定はしないしそれはありがとう  僕が掬ってあげられなかった彼の手を拾ってくれてありがとう  それはもうあなたのものだから好きに使って  捨てても戻らないから安心してね    ただ僕は  僕にとっては  箇条書きの食事記録と大差無いから  noteやTwitterならまだいいけれどね  宛名の有る場面なんかでそれをすると  後悔を後押しすることになる   
一ミリもああああああああとならない言葉なんか多分無いからさ  そんでそれはきっと積み重ねの証拠だからそれ自体は悪いもんでもないしさ    じゃあ苦笑より照れ笑いの方がいいじゃん  苦笑だって嫌ではないけれどさ    恰好良い存在を知りながら育ってしまったからなあ  ゴミでもカスでも無害よりずっといいと思う    まだ    若いので ❕❕


何の話がしたかったんだっけなと思ったけれど  別に何の話をしたかったわけでもなかった    そんなもんです  二行前だって過去だからあんまり気にしていない  矛も盾もそんなことのために作られたんじゃないんじゃない  大体は運だよ  ぼくらはそれをあそばせていただいているだけ



言葉の意味を定められるのは究極的には受手ですから
だからもっと力抜きなよ    意味無いから





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