発達障害の私たちは誤解されやすいけれど

ASD含む発達障害の方は
普段からの度重なる叱責や失敗体験によって
自己肯定感が低下したりする事があったり
これ以上叱責されたり 
失敗体験をする事がないように
常に神経を研ぎ澄ましていますが
これらの状態は、客観的に見ると
甘やかされて育った人、怒られ慣れていない人
という風に見られてしまう事があるみたいです。

私はこの事実を知った時
激しい怒りや悔しさが湧いてきました。

「あの時、叱責してきた〇〇という人も
私のこと甘やかされて育った人
怒られ慣れていない人
というように思っていたんだろうなぁ。」

と思う人はとてもいましたし
そのような意味では心当たりはとてもありました。

いつの間にか私は

もうこれ以上誰かに
甘やかされて育ってきた人、
怒られ慣れていない人認定されたくない
それは許せないという思いから
人との関わりは避けるようになりました。

(変にプライドが高いところも
生きづらいところです。)

これに関しては間違っているとは思えません。

でも、少しネガティブに考えすぎかな
とも思いました。

ここからが本題です。

確かに、私たち発達障害者は
甘やかされて育った、怒られ慣れていない
という誤解はされやすいと思いますが
全ての人がそう思うのかというと
そうでもないと思います。

今までの学生時代や、 
習い事をしていた時代を振り返ってみると

とても怖くて厳しいと噂されている先生で
実際、生徒に対して叱責しているところも
何回も見たことがある先生がいたのですが
何故か私には優しいという先生が
2人ほどいました。

※ここからは個人情報のため
内容を変えている部分もありますが
ご了承ください。

そのうちの1人が
中学生の頃の先生なのですが

若い男の人で
体格も良く目力も強く
スポーティ系なお洋服を着ていることも
多かったためか
いかにも厳しそうで
体育会系のような印象の先生でした。

実際、その印象はあながち間違いではなく
他の生徒からも怖いと思われていて
生徒に叱責をしているところも
何回も見ていたため
絶対に関わりたくない先生だと
思っていました。

しかし、とある事情があり
その先生と関わらないといけないことがあり
「終わった」と思いました。

でも、お話してみると
叱責されるどころか威圧感も特に無く
私の悩みも真剣に聞いてくれたり
「思っていた印象と違う。」と思いました。

また、「あやみは自己肯定感が低いなぁ。」
「結構すぐに(心の)シャッターを
ガラガラ~っと閉めてしまうところあるよね。」
等も言われたことがあり
自分でもかなり心当たりがあり
でもそんなお話を先生にはした事がないのに
何故わかったのだろうと思いました。

分かる人には分かるのだと思いました。

そして、その先生は私には優しかったのですが
甘やかされている、ひいきされている
というような感じでも無く
私にあった指導の仕方をしてくれていたのだと
今となっては思います。

私たち発達障害者は
怒られ慣れていない等の誤解を受けたりする事も
あるのかもしれませんが
本質に気付いてくれる人もいるということや
私にもそのような人がいたのだという事は
忘れたくないと思いました。

それを忘れないことや
今でも気付いてくれている人がいるかもしれないと
考えることで
私も、優しい心を
取り戻していく事ができるような気がします。

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