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モーツァルト/ピアノ協奏曲第27番 変ロ長調 KV595、1875年以降の歌曲

2009年に書いた解説原稿です。web用に大幅に加筆修正しました。

■モーツァルト/ピアノ協奏曲第27番 変ロ長調 KV595

 この美しい協奏曲は1791年の初め、1月5日に完成されました。モーツァルトはこの年の暮れに亡くなってしまいますから、生涯最後の年に書かれた作品、ということになります。、と言われていますが、この作品は実は1788年頃には取りかかっていて、何らかの理由で中断していたのを1791年になって完成させたのだいうせつもあります。この最後の年に、モーツァルトは旺盛な創作力で、次々に作品を生み出していきました。この変ロ長調のピアノ協奏曲を皮切りに、弦楽五重奏曲KV614、アヴェ・ヴェルム・コルプスKV618、歌劇「魔笛」KV620、歌劇「皇帝ティートの慈悲」KV621、クラリネット協奏曲KV622、遺作となった未完成のレクイエムKV626、そして多くのドイツ舞曲やコントルダンス、などなど。前年(1790年)にスランプでなかなか音楽を書けなかったことを考えると、これは驚異的な仕事量と言っていいでしょう。晩年の彼は、戦争で演奏会の数が激減した上に楽譜も売れず、収入が激減。多額の借金で首が回らないような状態でした。そのために、モーツァルトは馬車馬のように働く必要があったのです。だとしてもこの年の作品の数と質の高さは、尋常ではありません。あたかも燃え尽きる直前に膨らんだ線香花火の火の玉ように、天才の最後の創造力が輝いたのかもしれません。

[なお、上の動画のアンコールはピレシュと指揮のピノックによる連弾ソナタKV381の3楽章(32minくらいから)と第2楽章(36:00くらいから)。素敵な共演だ!めっちゃ楽しい。贅沢!]

この協奏曲で奏でられる音楽は、すべてが何の力みもなく素直に、シンプルに表現されています。全体として悲劇的でドラマティックな要素は目立ちません。そのどこまでも澄み切った世界は、もはやこの世のものとは思えません。微笑みをうかべながら穏やかに音楽が続いていきます。

でも、いつも、どこかとても哀しいのです。

オーケストラとピアノは、極めて自然な融合を生み出しています。協奏曲というより室内楽に近い親密なやり取りがなされています。

前作の『戴冠式』協奏曲では控えめな扱いに後退していた管楽器が再び効果的に活躍するのも特徴です。ティンパニが使われていないことも大きな特徴でしょう。管楽器セクションの美しい響きがこの作品の透明感に一層の輝きを与えています。この作品ではクラリネットは使用されていないのですが、その響きはモーツァルトの後期特有のものになっています。カデンツァ後(28minくらいから)、淡い微笑みを浮かべながらfの締め括りに向かってゆく約1分間は(むしろ、遠ざかってゆく...と言った方がいいかもしれません。)は奇跡的な素晴らしさです。こーゆー表情を音で描くことができたのは、やっぱり音楽史上モーツァルトただ一人でしょう。

第3楽章には同時期に作曲された自作の歌曲「春への憧れ」KV596と同じ主題に使われていることで有名です。

その歌詞の第1節は、次のとおりです。

いとしい春よ、早く来て / 木々をまた緑にしておくれ

そして私のために小川のほとりに / 可愛いすみれを咲かせておくれ

そう、そしてこれがモーツァルトにとって最後の春になったのです。


いとしい春よ、

いとしい春よ...



彼がこの歌曲に付した演奏指示は極めて明快。ただひとこと。

" Fröhlich"(楽しく。)



初演は完成から2ヶ月後の1791年3月4日、宮廷料理師イグナーツ・ヤーン邸で行われた音楽会で、作曲者自身のピアノ独奏で初演されました。これがモーツァルトがピアノ協奏曲のソリストとして公の席に姿を現した最後となりました。

☝️のアンドレア・ロストとコチシュの「春への憧れ」の動画、超素敵。アンドレア・ロストのかわいいこと!メガネがチャーミング。


■余談「モーツァルトの1785年以降の歌曲」


モーツァルトの歌曲は、友人やお世話になった人への私的なプレゼントとして、或いは機会音楽として、作曲されたものが多い。つまり、自分では音楽的・芸術的にそれほど重要なジャンルだと考えていなかったらしい(シューベルトやシューマンのようには...)。小さな贈り物のつもりで葉書や一筆箋にサラッとお礼や近況をしたためるような親密で日常的な感覚でサラッと書いてた。しかし、モーツァルトに自覚はなかったとしても、モーツァルトの内的成長や作曲技法の向上に比例するように折に触れて書かれた歌曲の質も自然に高くなる。1785年以降に書かれた歌曲は、既にシューベルト以降の内面的なドイツリートの世界を予見するような雰囲気になっている([ルイーゼ]にはレチタティーヴォが導入され、[すみれ]と[夕べの想い]では有節形式から離れている。当時としては冒険だ)。彼の歌曲は当初、軽いものが散発的に書かれるだけだったが、フィガロの直前の1785年から内容的に深まりを見せ始め、意識的だったどうかわからないが、まとめて歌曲を書く(歌曲の創作に没頭するような)時期があったりするようになる。まず1785年5月6月に有名な3つの歌曲(魔術師、満足、すみれ)が相次いで書かれ、ここからモーツァルトの歌曲のジャンルでの飛躍・深まりが始まる。

■「魔術師」KV472

1785年5月7日、モーツァルトは当時の作曲家に人気のあった詩人クリスティアン・フェリックス・ヴァイスの詞による3つの歌曲(魔術師、満足、偽りの世)を一気に作曲した。

シンプルには書かれているが、ト短調の音楽は表出力が強くて劇的。ちょっと有節歌曲とは思えない感じだ。

■「満足」KV473

シンプルで穏やかでささやかな作品。この感じはちょっと1791年の3曲を思い起こさせる。


■「偽りの世」KV474

かなり手の込んだ変化に富んだ作品。これも単なる有節歌曲とはだいぶ違う。

☝️の動画は何とまあ、指揮者のネゼ=セガンが伴奏してる!そう思って検索してみると彼の伴奏の動画けっこう多いのな。知らんかった。いやあ、さすがにピアノうまいなー。

■「すみれ」KV476

モーツァルトのただ一つのゲーテの詞による歌曲。前述のヴァイスの3つの歌曲の一ヶ月後に書かれた傑作。有節形式から離れ、歌詞に従って細かく転調し、レチタティーヴォの書き方まで取り入れる。ピアノも単なる伴奏の域を越えている。この曲で、モーツァルトは歌曲のジャンルで一気にワンランク上に飛び上がった感がある。

■「老婆」KV517

1787年、「ドン・ジョヴァンニ」の年にモーツァルトは9曲の歌曲を書く。歌曲の年と言ってもいいかもしれない。(この年は2つの教会用歌曲KV343もあるが、ジャンル違いなのでここでは触れない。)

まず書かれたのが「老婆」

『あたしの頃はまだよかった。今はなんてひどい時代になったんだろう』みたいな内容の歌。つまりよくある感じのばあさんの懐古的嘆き節。古いバロックの通奏低音の書き方で「古さ=老婆」を表現する。

モーツァルトの演奏指示は "Ein bißchen aus der Nase"(ちょっと鼻にかけて)

モーツァルトは全体に皮肉で滑稽な感じを狙っていて、ばあさんの心情に優しく寄り添ったりしない。悪ガキ(笑)。

■「ひめごと」KV518

「老婆」の二日後に書かれた素直でシンプルな有節歌曲。かわいい。

■「別れの歌」KV519

ヘ短調で書かれたアダージョの嘆きの歌。シンプルな有節歌曲で、軽やかなスタイルで書かれているが、悲しみが軽やかさの中からこぼれ落ち続ける。

■「ルイーゼが不実な恋人の手紙を焼いた時」KV520

嫉妬の歌。オペラティックな作りで、レチタティーヴォの書き方が導入され、素晴らしい劇的効果をあげる。さすがオペラ作曲家・モーツァルト。

この傑作にはエピソードがある。友人のジャカンに歌曲を頼まれていたのにモーツァルトは全然書かない。困ったジャカンはモーツァルトを部屋に閉じ込めて作曲させたとゆーエピソード。自筆譜にも「ジャカン氏の部屋にて」と書かれている。ジャカンはこれを恋人に自分の作品として献呈したらしい。

■「夕べの想い」KV523

モーツァルトは1787年の父レオポルトの死(5/28)の直後の6月14日に悪ふざけの極致のような「音楽の冗談」KV522を書き、6/24には死についての深い瞑想に沈む「夕べの想い」KV523を書く。「死」そのものをテーマにした「夕べの想い」には父の死の影響がダイレクトに表れていると言われる。そりゃあそうだろう。当然そう思う。

しかし、おれはむしろ「音楽の冗談」と「夕べの想い」の振れ幅の方にモーツァルトの受けた衝撃の大きさがよく表れているように思う。モーツァルト は同じ6/24にコミカルかつ軽やかにエロスと死を歌う「クローエに」KV524も一気呵成に作曲する。この情緒の異常な乱高下...

そして10/29には殺人(父殺し)・セックス・誘惑をテーマにした悪徳の権化のようなオペラ「ドン・ジョヴァンニ」KV527が初演される。

■「クローエに」KV524

通作形式とロンド形式の混合。

アンドレア・ロスト、良いなー。

■「小さなフリードリヒの誕生日」KV529

1787年11月にモーツァルトはプラハで歌曲を二つ書く。ドンジョヴァンニの初演の直後。まず書かれたのが可愛いらしい有節歌曲「小さなフリードリヒ」。子供用の雑誌のために書かれたらしいので、1791年に書かれる可愛い3つの歌曲(KV596、597、598)と成立事情が似てる。

■「夢の像」KV530

これもまた「ルイーゼ」KV520と同様、ジャカンのために「友情の証」として作曲され、ジャカンの作品として発表された。そんな事情でこの二曲はずっとジャカンの作品とされてきた。こーゆーことが原因となって様々な誤解や混乱が多く起こった。大らかな時代。

■「小さな紡ぎ娘」KV531

「紡ぐ」といえばやっぱりシューベルトの「糸を紡ぐグレートヒェン」だが、モーツァルト はシューベルトのように糸車の音型にあまりこだわらない。基本的にシンプルで元気のいい伴奏で、糸車な感じはほんの一瞬現れるだけだ。これもシンプルで1791年の3つの歌曲に近い感じだ。

この曲にモーツァルトが与えた指示は「Lebhaft生き生きと 」


■「春への憧れ」KV596

KV596〜598の3つの歌曲は1791年1月に書かれ、ウィーンのアルベルティが出版した楽譜「子供と子供好きな大人のためのクラヴィーア伴奏歌曲集[春の部]」に収録された。「子供のため」と謳われているように、子供もすぐに歌えるように非常にシンプルに愛らしく書かれた小規模な歌曲。この3つの歌曲もモーツァルト晩年のシンプル志向の流れの中に位置付けられるだろう。

特に「春への憧れ」は有名で、ほとんど民謡や童謡のように広く親しまれている「翻訳唱歌」。日本でも明治時代から親しまれてきた。明治21年に発刊された「明治唱歌」では「上野の岡」の曲名で紹介される。庭の千草、故郷の空、ローレライなどと同様に日本人の心の中に深く定着した。今は「五月の歌」という題で知られている(楽しや五月 草木はもえ小川の岸に....)。

前述の通りこの歌曲の旋律は同時期に書いていたピアノ協奏曲第27番 変ロ長調 KV595の第三楽章に流用されている。

■春の初めにKV597

詞:クリスティアン・クリストフ・シュトルム

■子供の遊びKV598

詞:クリスティアン・アドルフ・オーヴァーベック



こうやって参考動画をあげていくと、バーバラ・ボニーばかりだ。そう、おれは彼女の大ファンなのだ。このモーツァルトの歌曲集は最高のアルバムだと思ってる。超おすすめ。






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