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モーツァルト・ピアノソナタチクルスvol.3


皆さまようこそおいでくださいました。

本日の公演は5月30日の延期公演です。コロナの影響で順番がおかしくなってしまいました。大変申し訳ありません。


今日聴いていただくソナタは、
有名な曲ばかり。名曲コンサートです。



モーツァルトはザルツブルクの大司教に仕える音楽家として生活している時期もありました。

でも、これは非正規雇用(お父さんは正規雇用です)。女中さんや庭師さんと待遇も給与の面もほぼ変わりません。それでモーツァルトは正規雇用の職を求めて子供の頃からお父さんと旅を続けていたわけです。親子は旅行のたびに大司教に休暇願いを出しました。

あまりにもひんぱんに休暇願いが出るし、一旦休暇を許可すると、今度はなかなか帰ってこない。そんなわけで ある時、雇用主である大司教・コロレドが激怒。父子の休暇願いを認めない と言い出した。
確かにあんまり頻繁に長く休まれると困るし、雇用主の立場もわかります。

モーツァルトは ど田舎のザルツブルクがもう嫌で仕方がなかったし、大司教ともずっとうまくいってなかった。

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この休暇願の件で大司教と大げんかして完全にキレてしまったモーツァルトはついに1781年にウィーンに出て、フリーランスの音楽家としてやっていく道を選ぶことになったんです。田舎の雇われ音楽家なんかもう御免だってことでしょうね。今日聴いていただく三つのピアノソナタはウィーンに移って間もなく書かれた作品です。

では、何はともあれオープニングに連弾のためのソナタKV357を聴いてみましょう。この作品は未完成のソナタです。二つの楽章からできています。この曲は楽譜の欠落がものすごく多くて、 非常に怪しげなものです。

今はユリウス・アンドレって人が補作したものが一般的に演奏されています。でも、どうやらこの2つの楽章はそれぞれ別の目的で書かれたものらしくて、一つの作品として考えて作曲したのかどうか疑問です。

 自筆譜は第二次大戦ころから行方不明です。戦争の混乱で紛失してしまったんですね。またどこかからひょっこり出て来るかもわかりませんが。



さて、ここからが本題です。独奏のためのソナタを聴いてみましょう。実は今日聴いていただく3つのソナタは、1784年にウィーンのアルタリアという出版社からまとめて作品Op.6として出版されたものです。今日はこの作品6の三曲をまとめて聴いていただくわけです。

みなさまご存知のケッヘル番号が付けられるのはモーツァルトが亡くなってからケッヘルって人がモーツァルトの作品目録を作ってからです。

モーツァルトについて知っていても、ケッヘルがどんな人かは、一般にはほとんど知られていませんが、非常に興味深い人物です。

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👇の本は非常によくまとまったおもしろい本です。おすすめ。

この時期に出版された曲にはまだオーパス(Op.)=作品番号が付けらていたりもしました。モーツァルトでオーパスが付けられてるのは基本的に出版されたものだけです。

さて、モーツァルトは大司教コロレドと喧嘩して決裂してウィーンに出て来たわけですが、どの程度嫌になっていたか、
モーツァルト自身の言葉を少し紹介しておきましょうか。
例えば
「とにかくザルツブルクはぼくの才能に向いた土地ではない。第一に音楽に関わる人々がまったく尊敬されていないこと。第二に劇場もなければオペラもありません。」
「ザルツブルクの乞食宮廷にまた仕えるのかと思うと腹立たしさと不安を感じます。大司教がぼくに対してまた偉ぶった態度を取ることは許されません。」

とこんな感じです。
特にモーツァルトが嫌だったのはオペラを書くチャンスがなかったことでした。

一応、大司教の宮殿(レジデンツ)ではオペラが上演されてはいたんですが、だいたい一年に一本。当時は教会も王侯貴族も財政的に逼迫していて、オペラどころじゃなかったんです。戦争ばかりやってましたから、とにかく国に金がない。
しかも上演されるのはイタリア人の曲ばかりで、モーツァルトには声がかからない。この当時はオペラはイタリア人!という考え方がまだ主流で、ザルツブルクでもオペラはイタリアの天下。いくらモーツァルトが天才でイタリア語のオペラを見事に書いた実績があっても、全然ダメだったんです。モーツァルトはそれを屈辱的だと思っていました。
いくら外部で依頼された演奏や作曲を頑張っても大司教は認めてくれないし、それどころか、モーツァルトの外部での音楽活動にも制限を加え始める。非正規で低賃金だから、外の仕事も少しやりたいのに、それもダメだと言われる。モーツァルトの大司教への憎しみと不信感は高まっていくばかり。
それでウィーンでフリーでやっていくことにしたわけですね。

そして、実際モーツァルトはウィーンに出てきてすぐに、オペラ「後宮からの誘拐」KV384で大成功をおさめました。このオペラの成功があって「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァンニ」「コシ・ファン・トゥッテ」「魔笛」と名作オペラを連作し、モーツァルトはオペラ作曲家として認められるようになったんです。

ぼくは「後宮」はネゼ=セガン指揮の録音が気に入ってます。ダムラウはじめ、歌手も豪華ですし、演奏が何しろフレッシュで超ご機嫌です。

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