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与えすぎて疲弊してしまう人へ。

「与えるばかりで疲弊してしまいます。」
という方がいます。

こういう時、考えられる原因はいくつかありますが
その中で、自分で解決できることもあって。

何かというと、
『与えるジャンル、間違ってない?』ってこと。

ここを間違えてしまうと、
自分が持っていないもの、を与えようとしたり
少ししか持ってないものを、たくさん与えてしまうことになります。

そして疲弊してしまったことを
「周りがテイカーだらけだからだ。」と周りのせいにしてしまったりもする。
「自分ばっかり与えて損してる」って悲しい気持ちになったりもする。

でもそれ、
ジャンル違いなだけかもしれません。

例えば。

時間の管理が上手で、テキパキしていて容量のいい人は
誰かのために時間を与えることができます。
だって、時間の使い方が上手だから。
自分の時間を余らせることができるから。

いろんなことを知っていて、賢い人は、
誰かのために知識を与えることができます。
だって、溢れる知識があるから。
自分のために知識を使ってもまだ余っているから。

愛することに長けている人は、
誰かに愛を与えることができます。
だって、誰かを想うことが得意だから。

というふうに、
自分がたくさん持っているもの、
余るほど持っているもの、
与えても与えてもまだ余るもの

が、『与えられるもの』なのです。

愛するためには、まず自分を愛で満たすこと。がとても大切だと言われます。
余った分しか、与えられないのです。

自分が枯渇しているのに与えようとしてしまう時は、
『与える』という行為で、自分を満たそうとしている場合が多いです。
承認してもらうため、賞賛してもらうために与える。
だから、自分が望んだものが返ってこないと、落胆し、怒り、疲弊します。

誰かにそう望まれるから、という理由で与えようとする時も同じです。


『与えるもの』を
いつも自分の中で『余っているもの』にしてみると
疲弊しないし、逆に喜びに満ちてきます。


ちなみに、
実は、
白状すると、
私は愛はそんなに多くないのです。

だから、寄り添ったり
誰かとすごく近づいたりということはあんまりしません。
共感しているふりもしません。
自分が疲弊するのがわかっているからです。

でも、言葉はすごく余っています。
”あなたは口から生まれたのね。”とよく言われました。。
自分とどれだけ会話をしても、まだ言葉が余る。
知識もたくさんあると思います。

だからこうやって、毎日毎日書いても、全然書書けます。まだまだ書く。
コミュニティライブも、どれだけ話しても苦にならないし、
メンバーとのやりとりがどれだけ長くなっても全然できてしまいます。


募金に似ているなって思います。
自分の生活もカツカツで、水道もガスも止まりそうな時に
募金する必要ってなくて
余った人が、できる分をしますよね。
お金をたくさん持っている人が、もししたいならするのが募金です。

愛を与える。
誰かを助ける。
お世話する。
話を聞く。
相談に乗る。
教える。
そういう与えるも、おんなじです。


でね。

与えるばかりで、疲弊してしまう時って、
自分の親の余っているもの、自分の親が与えると良いと思っているもの
を真似している場合があります。

自分に余っているものじゃなくて、
親に余っているものや、それを良かれとしているもの。

こういう場合は、疲れます。
だって、自分じゃないから。


与えるものがない人は、一人もいません。
誰でも必ず、他人を幸せにできる何かを持っています。

みなさんに余っているものはなんですか?
与えれば与えるほどに、またそれが自分の中で生まれて増えて
喜びで満ちること、きっとあると思います。


そして、
自分に余っていないものを無理に与えようとしないことや、
もしそれを人に望まれる場合は
(望まれている気がしている、というだけなのだけどね。)

『no』と断ったり『できません』という勇気と素直さで
自分を大切にすることも
与えることと同じくらい、大切だと思います。

自分に余っているものだけを与えるようにしていくと、
自分の世界からテイカーがいなくなります。
自分に余っているものだけ与えるということは、
誰のこともテイカーにしないということです。


愛をこめて
elly


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