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文化と、いろ、いろの歴史

文:yk2(Yukako Horikiri)

色に固定概念ってある?

外国に訪れた時、その土地ならではの風景に会う。

都心部でも、東京の景色とはなんか違ってみたりする。よく、国の色でまとめられたカラーブックなどを目にする。日本の色は基本淡く、あるいは褪せている印象がある。

そういえば、インスタグラムの写真のフィルターにも世界各国の都市の名前がついている。ジャイプールというインドのピンクシティと呼ばれている町はピンクのフィルターが設定されているし、東京はなぜだかモノクロでだ。

町や、国に特有の色のイメージを私たちがなんとなく感じていると思われるが、一体それが何によるものなのか、考えてみたい。

なぜするのかというと、これからの未来、どんなところにも行ける時代、場所の個性を表現することがとても大切だと考えている。それは、特定の国や文化を誇張して啓蒙するとかではなくその土地にあるもの、見えるものをしっかり伝えていくために。

国には国のシンボルカラーがある。その色が国旗や看板や衣装に用いられることでその国の色とイメージが無意識に結び付けられているようだ。

では、そのシンボルはどのように生まれたのか考えてみたい。

今、みているこのパソコンの画面にもいろんな色彩があふれている。デジタルでそんな色にも発色可能な時代だ。

でも昔は違った。

古くから伝わる色材は土、砂、植物などの自然の材料だ。場所によって土質や取れる植物が変われば作れる色も違ってくる。

例えば、ローマ皇帝の衣装に赤紫が用いられたのは、”高価であること(中略)その美しさ”と言われている、

高価というのは、大量の原料を必要とし発色の耐久性があることげ価値が高いとみなされていたのだ。その地域周辺では赤紫が高貴な色として認識されている。

同時に中国では古くから黄色は皇帝しか身につけることができない色だった。それは黄色が実際に土から発色されたアースカラーであり皇帝は大地の神であるという意味からきていると考えられる。

このように今でも伝わる伝統的な糸にはそれぞれ歴史的な背景がある。

そこで中国と日本の関係性は色彩にも影響していた。中国との交易によって大陸の文化が日本に、伝わり自ずと顔料や布や糸など中国の色が伝わってきた。

交易以前に色が存在していなかったわけではなく、もともと存在していた色もある。

前田雨城氏の”色-染めと色彩”では色を表現する言葉を追うことで、それを考察している。

国の色の歴史、意味について深く掘り下げまた、日本と比較することで、何気なく認識しているイメージの原因に近づけるかもしれない。

これからの投稿は中国現地に滞在する九月まで、色の歴史を追っていきたい。

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