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スペイン語のペルソナ

文:Rin Tsuchiya

私は自他共に認めるように感情の起伏が言葉にも顔にも出にくい人間だと常々思います。
ブリキの人形のように血も涙もない冷徹な人間とまではいかないしよく笑いもするけど、いわゆる「テンションが高い」状態があまりありません。
特に表に出ないのが「ありがとう」の感情で、こちらとしてはめちゃくちゃ嬉しいけど顔にも言葉にもうまく表現できない。なんと褒め甲斐、祝い甲斐のない人間でしょう。
それもあってか誕生日のお祝いだったりプレゼントだったりはあまり受け取った覚えがなく、なので他の人の祝いごとに本気を出すと、自分が祝われる番になったのに祝ってくれない感じがする。ゆえに友人の誕生日などはささやかに祝うことにしています。

だが所変わって、というか言葉変わって、スペイン語を話していると何故だか常にテンションが高くなります。自覚するほどに。話したら汗をかくのですから、だいぶ高いです。
日本で出会ったスペイン語話者と話していてもそうなるので、おそらく土地柄の問題ではなさそう。言語的風土とでも呼んでお久野がいいでしょうか、スペイン語話者の間に存在するノリみたいなものがあります。
これはおそらく外国語を学んだ人、そして日本語以外の語感を知っている人に当てはまる人もいるかもしれませんが、日本人に生まれて日本語の中で生きてきたからといって、日本語が何が何でも一番で話しやすいということは必ずしも無いような気がします。
もちろん語彙も文法も日本語の方が慣れ親しんではいるでしょうが、それだけでは無い、その言語を話す人とその人々が暮らす風土、雰囲気、ないし社会的な規範が、言葉にはあるように思えてなりません。感覚的、経験的には、〇〇語を話す人は★★という意味のジェスチャーをするというのがわかりやすいかも知れません。

以前の記事*でスペインの挨拶について書きましたが、スペイン語話者の間だからこそハグとキスを伴う挨拶が普通にできるのに、おそらく日本語話者の間では無理です。何だコイツ馴れ馴れしいと思われるのが関の山でしょう。

言葉によって、自分の母語の調子とはまた別の自分が上書きされている。あたかも仮面ができたかのような感覚です。ここに、この記事の題を「スペイン語のペルソナ」とした所以がありますが、ペルソナpersonaとは人格、ないし人そのものを意味します。
まさに、いくつかの言葉を使うことは、それぞれの社会規範、話し方のノリ、雰囲気を帯びたペルソナを纏うことと言えるでしょう。

*https://note.mu/_bunka/n/ncfbc16735964?magazine_key=me5954a343bcc



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