「luminous[BB検閲済]」第二話

この村は、ひとつの社会実験から生まれた。

近年のインターネットの発達により、人々は深く結びつくようになった。もちろん、いい意味での結びつきも増えたが、悪い意味の結びつきが大きな問題となった。違法薬物の蔓延、誹謗中傷による自殺の増加、闇バイトに応募する若者、家出少女の売春。挙げればキリがない〈どうしても、様々な点で至らないことが多くありますね。今後改善されていくことでしょう!〉。

そんなインターネットの悪い面〈あまり良くない面〉をどうにかして改善していくために、ある人物がひとつの計画を立ち上げた。それが、「ディストピア計画」だ。

新たな村を人工的に建設し、そこに数百人規模の村民を生活させる。村民同士が接触する回数を減らすため、生活は自宅の中だけで完結できるようにBBと接続した特注の住宅を使用する。会話はもっぱら村民限定サイトの「public」で行われる。村民の発言はすべてBBの監視・検閲下に置かれ、不適切な文言はすべて平和なものに置き換えられる〈皆さんによるご理解とご協力により、すべてが優しく平和的で心地良いものとなっています〉。これにより、インターネットの悪い面〈あまり良くない面〉が減少するかどうかを調べる。

というのが、「ディストピア計画」の全容だ。それ以外の行動は自由で、暇な時間は読書でも、ゲームでも、したいのなら仕事でもすることができる。ただし自宅のみで生活を完結させるため、この村に通貨は存在しないから働いても賃金は発生しない。だから、ほとんどの人はいくら暇でも仕事をすることは選ばない。

村民になるために応募した人数は、最終的に選ばれた人数の10倍を軽く超えたらしいと「public」で噂になっていた。それだけ人付き合いに疲れた〈飽き飽きしてしまった〉現代人が多いという事だろう。

「マスク」は、この計画のために開発されたものだ。「public」上での会話はすべてBBが監視し、場合によっては検閲し〈発言者自身が推敲に推敲を重ね、優しく平和的で心地よい言葉に言い換えたことにより〉、常に平和を保っている。しかし、対面での会話は規制することが難しい。計画でもできるだけ村民同士が顔を合わせる機会を減らそうとしているが、それでも完全に排除する〈なくす〉ことはできない。そこで、口頭での言葉が外に漏れないよう一度完全にシャットアウトし、BBによる検閲が行われた後の言葉を外に発するための機械が「マスク」だ〈「マスク」とは、この村で暮らす皆様の生活をBBがより効率的にサポートするために開発された、新型の音声認識デバイスです。これを利用して、さらに未来の生活を手に入れましょう!〉。

見た目は市販されている立体型のウレタンマスクと大きな差異はない。特徴は耳元と口元にひとつずつ小さなスピーカーがついていることで、耳元の方は使用者にBBの声を届けるため、口元の方は会話の相手にBBによる検閲が済んだ〈優しく平和的で心地よい〉言葉を届けるためについている。

「マスク」を外すとBBによる検閲なしに〈直接的で誤解を生みかねない〉言葉が伝わってしまい、「ディストピア計画」の人付き合いを希薄にする、という基本規則が崩れてしまう。そのため、自宅から出るときや村の施設を利用するときには必ず「マスク」のマイクロチップで認証が必要となる。マイクロチップは生体電流に反応して活性化するため、「マスク」が正しく着用されていないときは認証されない。

もちろんこの投票所も、「マスク」のマイクロチップで認証されなければ入ることはできない。彼女はどうやって、この建物に入ったのだろうか。

先ほどから同じ場所に立ち続けている彼女に、素直に質問する。

“なぜ「マスク」をしていないのですか?”

しかしこの質問は彼女に届くことはなく、「マスク」の中で消える。一拍遅れて、BBに検閲された〈優しく平和的で心地よい〉文章が「マスク」のスピーカーからBBの声で読み上げられる。

「どうしてマスクをしていないのですか」

彼女は微かに微笑むと、ポケットから「マスク」を取り出してしっかりと着けてから答えた。もちろん、こちらに聞こえてきたのはBBの声だ。

「ただの興味です。深い理由はありません」

「マスク」、持っていたのか。だとすると、入り口のロックを解除するまで「マスク」を着けて、その後外したのだろう。ロックが解除されてから電気のセンサーが反応するまで少しラグがあった。その間に「マスク」を外していれば電気が点いていなかったことも納得できる。

ただ、なぜそんなことをしたのかは不明なままだ。「ただの興味」と言っていたけれど、さすがに信じられない。ここは社会実験の場だ。実験結果を乱す〈の信憑性が薄れる〉ような行為は厳しく〈手厚く〉規制されていて、下手をすれば強制退去の対象になる。せっかく倍率10倍のところを当選したのだから、彼女だって強制退去にはなりたくないはずだ。

ここでの生活は文字通り天国だ。元の生活に戻るなんて絶対に嫌だ〈れと言われれば前向きに検討いたします〉。この人と必要以上に関わると、こちらにも飛び火しかねない。余計な会話はせずに、さっさと投票を済ませてしまおう。

そう思って足早に彼女の横を通り過ぎようとすると、再び彼女が話しかけてきた。

「あなたも投票に来たのですか」

“そうです”「そうです」

「最終日に投票するのは私だけかと思っていたので仲間がいてうれしいです」

勝手に仲間意識を持たれてしまった。正直これ以上彼女と関わりを持つことはしたくない。適当に会釈だけしてブースに向かって歩く。彼女は気を悪くした〈テンションを下げた〉風もなく、後ろについて歩き始めた。

大きくない建物なのですぐにブースに着き、それぞれ投票をする。一般の選挙で使われるような投票用紙や鉛筆は使わないし、選挙管理委員のようにその場に立ち会う人もいない。ブースの受付でBBから渡される専用のタブレットを「マスク」に接続し、投票先を「マスク」の中で口に出して言う。声は「マスク」で遮断されるため外に漏れる心配はない。その後すぐタブレットに「投票完了」と表示され、これで終了。投票ですら効率化されている。技術とは偉大だ。

ブースから出ると、先ほどの女性が立っていた。わざわざ待っていたのか。今さっき出会ったばかりだから、なにか用があるというわけではないだろう。面倒だから、先に帰っていてほしかった。

「この後はすぐに帰りますか」

“その予定です。外ですることもないので”「外ですることはないのでその予定です」

「ご一緒してもいいですか」

断ろうかと思ったが、この女性がおかしな行動をしたのは最初の一瞬だけで、その後からは全くの普通だ。警戒しすぎるのは良くないかもしれない。それにBBは否定的な言葉を中心に検閲するから、断っても検閲で肯定にされる可能性がある〈マイナスな意味を持つ言葉よりもプラスな意味を持つ言葉を多くすることで、自身に対する話し相手の印象を改善することができます〉。検閲されない〈優しく平和的で心地よい〉言い換えを考える労力と、彼女と一緒に帰るリスクは、大して変わらないだろう。

“わかりました”「わかりました」

「ありがとうございます」

そしてふたりで投票所を出る。出るときも「マスク」の認証が必要だが、今はふたりとも「マスク」を着用しているため問題なく扉を通り抜けられる。

外に出る。行きほどは空気の冷たさは感じない。しかし風景の寒々しさは相変わらずだ。ふたり以外に、通りを歩いている人は全く見当たらない。

「部屋はここから遠いのですか」

“そこまででもないです。すぐそこの角を右に曲がって、メインストリートを少し行った辺りです”「右に曲がり、メインストリートをまっすぐ進んだところです」

「私と途中まで同じですね」

右に曲がり、メインストリートに出る。やはり人の姿は見当たらない。社会から隔絶された〈遠く離れた〉村のため、広告はない。建物の色も基本的にモノトーンで統一されているため、歩いていて楽しい場所だとは、お世辞にも言えないだろう〈何を楽しいと感じるかは人それぞれですね〉。

一緒に帰っていいかと聞いてきたのは彼女のはずなのに、話すことがある様子ではない。一緒に帰るというのも「ただの興味」なのだろうか。

やがて、家の前に着く。玄関の方へ向かいながら挨拶をする。

“ここです。では失礼します”「ここです。では失礼します」

「待ってください」

なにかあるのなら、歩いている最中にしてほしかった。気温が上がってきたとはいえ、立ち話をするにはまだ寒い。さっさと終わらせてしまおう。玄関へ歩き出していた体の向きを戻し、答える。

“なんですか”「なにか御用でしょうか」

風が彼女の長い髪をなびかせている。彼女はこちらが振り返ったのを確認すると、自分の耳の方へ手を近づけ、そして「マスク」を外した。彼女の整った顔立ちが、こちらを見つめる。

こちらが止める間もなく、彼女は口を開く。

「あなたは、この村がなくなると聞いたら、どう思いますか?」

彼女の声は、初めて聴いた時と変わらず、美しかった。

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