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季節のはざまで

数カ月前から眼球が腫れているのに気付いていたけど、数カ月放っておいた。

今日は暖かくてなんとなく病院に行って、待合室でユリイカの柴田聡子特集を読んでいた。柴田聡子を好きになったのは4〜5年前で、それよりずっと前から柴田聡子は活動してて、活動するより前から生きていて、それを知らなかったし、これからも知る術がないことが寂しい。



人に誘われてダニエル・シュミットの『デ・ジャビュ』を観に行くことになった。だけどもう1本『季節のはざまで』という映画がやっていて、『デ・ジャビュ』はあらすじを見た感じすごく難しそうなので、そっちにしてもらった。

『季節のはざまで』は私の一番好きな映画になった。ホテルで子ども時代を過ごしたおじさんが、今は廃れたそのホテルにまたやってきて、いろんな記憶を回想しながらホテルを歩き回るだけの映画。景色が全部きれいで、人がみんなやさしく、穏やかで、馬鹿馬鹿しくて些細な事件も起こるけど、結局しあわせそうだった。


みんなが、カリブの女性にまつわる歌に合わせてわいわいと回りながら踊っている。



毎日夢を2〜3個ずつ見るのだけど、そのうち1個には、音信不通になった友だちが出てくる。その友だちと会うとか話せるようになるとかじゃなくて、その子のアイコンがちょっと変わってたり既読がついていたりして、生きている、ということがわかる夢。


以前、小説を書きたいけど分かりにくくなってしまうと言ったら、誰かに宛てて書いたらいいよと言われた。私が今なにかを書くならあの子に書くと思う。あの子の、責めるような迫力のある目が好きだった。



初めて来た眼科は、待合室が人で混み合っていて、三つ編みの編み方を教えている目が悪い女の子、その子にいじわるする甘えん坊で騒がしい妹、瞳の乾燥に弱いおばあさん、会釈しながら椅子に座ったおじいさん、瞳を閉じて祈るようにして待つお姉さん、私がいる。


春は今日来て、昼が近い眼科には平日の午後のような、住宅街に漂う緩慢さが侵入していた。

看護師さんがたまに待合室にやってきて、隣に住むおばあさんに「はい目診察しますね、大きく開けて、私の目を見てください」と言った。


診察室に入ると、マイメロディの加湿器やウサギのモチーフのマグネットが貼られていた。


中に入ると、住人のように馴染んだ、眉が吊り上がってメガネをかけた女性の先生がいて、「こりゃひどいね、目薬、かゆくてもかゆくなくても1日に4回薬挿すんだよ。あんまりゴロゴロしてひどくなるならメガネで過ごして」と低い声で言った。


もうしばらく実家に帰ってないから忘れていたけど、私が想像する家族にかなり近い。




悪くてどうしようもないこともあるだろう、ってところとか、





また晴れていれば、ここに来ると思う。駅から遠いので、雨が降っていたら来ないかもしれない。




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