言葉と言葉以外でできることを考えている。

言葉と言葉以外でできることを考えている。

最近の記事

自分が守りたいと思うもの

守りたいもの。自分自身の言葉への信頼。 守るためにはどうしたらいいのか。 自分に嘘をつかないこと。発言も、行動も。 自分との約束を守ること。すなわち、自分の言葉を嘘にしないこと。 そして、言葉以前のもやもやした何かを、徹底的に真っすぐに見つめ続けること。死ぬまで。一生。

    • xxxHoLic

      「ヤメル」っていうのはね 「ゼンブ」なのよ 「スベテ」なの 何かを「ヤメル」のも「ヤル」のも 成し遂げるという意味では同じなの 必要なものは 行動と誠意 自分への、誠意よ 何かをスル、もしくはシナイって決めるのは、自分と約束するってことなの 今の世界を失っても 居心地のいい場所を捨てても、求めるものを追う 失うものの重さも辛さも分かってて、それでも欲する そのために生きる そういうのが本当の覚悟

      • 印象と感情

        抱きしめたい。きもちわるい。こわい。どうしようもない。かわいい。卑怯者。エゴイスト。近づきたい。離れてほしい。離れてほしくない。近づかないでほしい。 これ全部、同じ人に対して抱いている印象と感情。どうしようね。

        • 宗教のような小説を読んだ。

        自分が守りたいと思うもの

          宗教が欲しい

          人の生き方に、客観的かつ絶対的な「正解」などない。 当たり前のことかもしれないが、それを「体感する」のはまた別のことで、私は最近になってようやく、その厳然たる事実を体感しつつある気がする。 実家で暮らすか、一人暮らしをするか。田舎で生活するか、都会に出るか。どこで誰とどんな仕事をして、どれくらいのお金を稼ぐか。休日にはどんな予定を入れるか、あるいは入れないか。どれくらいの数や深さの友人がいるか。恋人はいるか、同棲しているのか、結婚しているのか、妊娠・出産・子育てをしているか

          宗教が欲しい

          歩くことと書くことについて

          私は歩くことがすきだ。歩くことと書くことはかなり似ていて、どちらも私にとって精神のチューニングのような、旅のような、現実逃避のような役割を果たす。 私はいつでも旅がしたい。一つ所に留まっていたくない。どちらかというと引きこもりでインドア派で、世界一周どころか日本一周すらもしたことはないけれど、そういうことではないのだ。 在宅勤務で運動不足になりがちなので、昨日は仕事前に一時間ほど外を歩いた。最寄り駅まで行って帰ってくるだけ、くらいのつもりだったのだが、気が付けば興が乗って、

          歩くことと書くことについて

          エモについてもう一度考えてみた

          私は大森靖子の音楽によって魂を救われるタイプの女ではないが、それでも時々彼女の曲を聴きたくなることがあって、その夜もそんな感じだった。「絶対彼女」をイヤホンから垂れ流しながら、だらだらと夜の新宿を歩いた。 縁もゆかりもない、友人も恋人も家族も親戚もいない東京に来て一年以上が経った。驚くべきことに、私はこの夜、新宿という街にエモみを感じてしまった。エモとは、蓄積された日常の記憶だ。なんでもないような五感の積み重ねだ。東京が私にとってエモい街になるかどうかは、これからの私の日常

          エモについてもう一度考えてみた

          感情や思考が言葉に追いつかない。形にならないまま消えてゆく。思い出せなくなる。そうして記憶は捏造される。本当の自分の記憶や感情なんてものはどこにもない。

          感情や思考が言葉に追いつかない。形にならないまま消えてゆく。思い出せなくなる。そうして記憶は捏造される。本当の自分の記憶や感情なんてものはどこにもない。

          一人で生きて一人で死ぬ

          どうあがいても人は一人である、というこの絶望的な事実と、どうやって付き合っていけばいいんだろうね。 これは希死念慮とかそういうのではないのだけれど、死ねば全てから開放されるのに、と思う。人は人生の節目節目に、たとえば入学式とか卒業式とか成人式とか結婚式とか、あるいは生まれた瞬間だとかに、「おめでとう」と言い合うならわしになっているけれど、その「おめでとう」の意味がどうしてもわからないのだ。いったいなにがめでたいのか。「おめでとう」と言われたって、これで人生はゴールではないのだ

          一人で生きて一人で死ぬ

          「きっといずれ飽きるんだろうな」と心の隅で悟りながらも、なにかを好きになることがある。人に対しても、ものに対しても。好きな気持ちを失う未来があらかじめわかっているからこそ、いまある気持ちを大切にしたいと思う。

          「きっといずれ飽きるんだろうな」と心の隅で悟りながらも、なにかを好きになることがある。人に対しても、ものに対しても。好きな気持ちを失う未来があらかじめわかっているからこそ、いまある気持ちを大切にしたいと思う。

          人生の本番は今だ

          私にはずっと、年をとっている実感がなかった。私はもう今年で27になる(いま書いてみてそのことにびっくりしている)。客観的数字としては立派すぎるほどもう大人なのに、精神年齢は20歳くらいからずっと進歩していないような気がしていた。ずっと内面は20歳そこそこのまま、数字だけ歳をとっていって死ぬんだろうな。漠然とそう思って、それを「知っている」ことによって、なんだか達観したような気になっていた。 でも、それもまた違うのかもしれない、と思うような出来事が最近あった。演劇をやりたくて

          人生の本番は今だ

          夏が嫌いだ

          夏が嫌いだ。暑い。虫が出る。食べ物がすぐだめになる。顔がテカるし化粧はすぐ崩れるし、少し外を歩いただけで全身汗でぐっしょりになる。生きているだけで不快指数がすごい。 こんなふうに、夏が嫌いな理由を挙げようとすると、極めて卑近な、詩情のかけらもない項目ばかりが思い浮かんでしまう。 にもかかわらず、最近気づいてしまったのだが、私の中で「詩情」と最も深く結びついているのは夏という季節らしい。 夏は虚しい。どこにいてもなんとなく居心地が悪い。その最も大きな理由はおそらく、空が青いせ

          夏が嫌いだ

          浴びるように本を読みたい。読書量が足りない。

          浴びるように本を読みたい。読書量が足りない。

          タピオカミルクティーをのんだ。タピオカ別に要らねえな、とおもった。いや、タピオカは悪くない。これはわたしがミルクティーを愛しすぎてしまったが故の悲劇だ。

          タピオカミルクティーをのんだ。タピオカ別に要らねえな、とおもった。いや、タピオカは悪くない。これはわたしがミルクティーを愛しすぎてしまったが故の悲劇だ。

          文フリ東京

          芝居がしたい。自分の内にこもりたいわけでも、自分語りがしたいわけでもない。本当は旅に出たい。見たこともない場所に行きたいし、行く前とは違う人間になって帰ってきたい。自分以外の人間になりたい。それが無理なら自分以外の人間と関わりたい。言葉にできることも言葉にできないことも全部身体で感じたい。友達や恋人と一緒でなければ、手帳をぎっしり予定で埋め尽くさなければ、さびしい人間だとか可哀想な奴だとか言われがちな世の中だけど、「○○ちゃんと遊んだー!」みたいなSNSの投稿にはさして面白み

          文フリ東京

          孤独と向き合え。力に変えろ。勉強しているふりで手だけ動かしていても何の意味もないように、ただ書いているふりでキーボードだけ叩いていたって何の意味もないよ。孤独を孤立させるな。

          孤独と向き合え。力に変えろ。勉強しているふりで手だけ動かしていても何の意味もないように、ただ書いているふりでキーボードだけ叩いていたって何の意味もないよ。孤独を孤立させるな。