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ガランとしていた春

ある記事にひんやりした気分になる。

こちらに越してきた途端に流行り病で、
外出もままならず、
ストレスから体調も崩していた人が
弱音を吐く。
あまり親しくも無いし、
むしろ目の前で透明人間にされていた感だったから
どうしよう?と悩む。

まあ大変だろうな、
自分なりに何かできればと。

当初あれこれ街の様子を聞いてくる。
大体をお伝えする。
スーパーやローカルルールなど。
そしてこの流行り病気についても。

病院に行くべきかとか悩んでいそうだった。
緊急先の電話番号情報を送る。
自分が知る良いお医者さんばかりだ。
職場の関係で知りえる流行り病についての情報を渡す。
あの当時は滅茶苦茶な情報も多かった。
マスクが無いと嘆いていたので、
余るマスクが有る事をそれとなく連絡しておく。

外の景色も殆ど見れないから、と言う。
そこには「あなたは自由気ままでいいな」という責めを感じた。



職場の桜や
ガランとした空港や駅の写真を送る。
世の中こんな風だよ?と。
皆いないよ、と。
皆我慢しているよ、と。



押し付け無い程度のエールを送るが、
その人の美意識にそぐわないのか
周りに辛い辛いと言うけど、
エールは発信者を選びたいのだろうか
途中から寄越すなニュアンスを読んで止めた。

案の定
「こんなエール来ました感激」と
垂れ流す情報は
発信者が人気者だけ。

もう
「あなたは要りませんこの世には」
なんだなぁと。


元々どうしていいかわからない相手だったから
そっと離れてしまった。



人付き合いを自分の感情や損得だけで
動く人がいて
そこは自分のプロデュースという
いたく冷静さがあって
知る限りの笑顔もおちゃらけも真面目さも
全部嘘に見えてしまう。
そこに適当に乗っかれるほど自分は擦れてない。


電車は混雑していて
お店にも沢山の人を見る。
元の生活に戻りつつあるけど
あの不毛な気遣いはもうしなくていい。


すこし進んだんだなぁ。





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