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骨折で知った有難み

嫌な事があると有り難みが分かるはままある。

今回は、骨折だったけど。
健康もそうだけど、自分を大事にしていない。
というか自分の有難みをわかってない。

病院で脚を出してと言われて
出した足はガサガサで、
鞄の持ち方を変えたら歩き方が変わり
靴が合わない。
爪が圧迫で黒くなってて。
どこかの貧しい国の人みたい。

元々こぎれいにしている訳でもないし、
歳も歳だしと諦めというか
面倒というか。
見習いたい、歳に合ったこぎれいな人が
リアルに居ないのもある。

骨折したことを知るのは職場とnoteと姉だけ。
友達というのか知り合いというのか、顔見知りには話していない。

そういえば父が正式に?死んでいることも知るのはnoteの人だけ。リアルの人に直接的に死んでいるとは話していない。

その当時お付き合いしていた人にも
話していない。葬式で戻り、実家のお土産を渡しているけど出かけた理由も言わない。

何故だろう。

人付き合いに
プレハブ住宅の様に、ある程度出来ていると想定して
人付き合いをするのが実は苦手。
それこそ木を切るところから作り上げていきたい。

なんとなく友達
なんとなく、なんとなく・・な関係の不安定さ。
自分は平屋の居間の柱しか組み立てていないのに
相手が2階建てでしかも2階の押し入れ作っているなんてのが多々ある。

だからその違いから、
どんどん亀裂が入るのが嫌だ。
仲がいいからと急進的に進んで
自分が大事に思う物も
高速道路に咲いてる雑草の花程度に
見えもしない。
そういうのがこと、この歳では更に嫌になって。

そんな自分も
多分何かノリノリ?な状態で相手をろくすっぽ
見ても居ない事も沢山ある。
だからこそ、揺るがない部分を多くしたい。

屋根は飛ばされたけど、柱はあるとか
柱も焼けたけど、基礎は残っているとか。

揺るがない部分を作りたくて、
すこし遠巻きな現場監督で
うん、相手がここまでならここか。
と、自分の立ち位置や作業をを確認していた。


でも、
それって自分はどっか吹っ飛んでいるんだよね。
自分は本当は今日までに屋根を載せたかったとか
今日は本当は床を貼りたかったとか
逆に今日はもうお休みもアリじゃない?とか。


何よりも大事にしたいから、少し遠巻きも
相手と自分あっての事だったんだけどね。

少しでも良いものをと思う気持ちは
周りは然程無いのかも知れない。



脚、多分今誰かと一緒だったら、
その人が身なりにうるさければ
その拘りを尊重できる範囲でしていたから
こんなガサガサじゃないかもしれない。

夜中の電話とか、
やたら締め切りがギリギリの仕事に
自分を合わせていなければ
ひょっとしたら
脚の手入れもしていたかもしれない。


自分と周りの境界線が無くなる人生
もうそろそろやめよう。


こうしてダラダラ書いてみると。

やっぱり自分なのに
自分の有難みを自分が一番わかってない。
だから保湿クリームを買って塗った。


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