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「夫のちんぽが入らない」 世界はちんぽでできているのか

by キミシマフミタカ

 一見、ほのぼのと始まるドラマである。ど田舎から地方大学の教育学部に入学したうぶな女子大生が、同じボロアパートに住む先輩と恋仲になるが、セックスがうまくできない。具体的に、ちんぽがうまく入らないのだ。ふたりは仲が良いので結婚するが、ちんぽが入らない課題はそのまま。今後いったいどうなっていくのか? という物語だ。

 男性側の葛藤が薄く見える、というのが特徴なのだが、彼女にとっては切実な問題だ。自分が“不良品”なのではないかと悩み、それとも彼のちんぽがデカ過ぎるのでは? と悩む。そもそも、ちんぽが入らない関係は、正しい夫婦関係といえるのか? からだが一つに結ばれなくても、心は一つになれるのか? 赤ちゃんは生まれるのか?

 物語は途中から、“がんばる新人教師生活”の話になり、職場での葛藤も始まるが、やはりちんぽが入らない問題が、ふたりの関係を次第に蝕んでゆく。思わぬ展開もあり、物語はそれなりの結末を迎えるが、夫婦とは何か? 愛とセックスは別なのか? という重要なテーマに対する答えは、最終的に観る者に委ねられている(と思う)。

 ドラマはていねいにつくられている。主人公の戸惑いや困惑が、画面から上手く伝わって来る。監督は、「ふがいない僕は空を見た」のタナダユキ。喜びや痛みの感覚を、抑制されたトーンで、繊細に描くことが上手な監督だ。素朴な顔立ちの石橋菜津美も、肝心なときにいつも何も言えなくなってしまう主人公の役柄に、よく似合っている。

 世界は、ちんぽが入るか入らないかで、できているのか。あらゆるものごとの源にあるのは、そんな単純なことなのかもしれない。ちんぽが入るか入らないかで、もめごとが起き、悲喜劇が起こる。不倫騒動が発生し、文化が生まれ、戦争だって起こる。

 かつて作家のヘンリー・ミラーは、「北回帰線」で、こんなふうに書いていた。「突き放したようにあれを見ていると、頭の中におかしな考えが浮かんでくる。性が無であることを発見するんだ。ただの空っぽ。あそこにはなにもない。もう少しで発狂するところだった」。異論はあるかもしれないが、つまりちんぽが入る場所は、根源的に空虚なのだ。ちんぽをめぐる騒動が、どこか滑稽なのは、そのせいにちがいない。

 ところで今、「全裸監督」という本を読んでいる。伝説的なAV監督、村西とおるの伝記ノンフィクションなのだが、彼が性に目覚めた頃のエピソードが強烈だ。中学生になったばかりのころ、どうしてもちんぽを入れたくなり、同級生の妹(小学6年生!)を呼び出して、ちんぽを入れてみた。中学卒業までに約200回それを繰り返したという。

 その「全裸監督」、今年度なんとNetflixオリジナルでドラマ化されるという。タブーに切り込むNetflixの面目躍如だが、一体どんなドラマになるのだろう?

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