心中2

『心中天網島』 1969年のクリエイティビティはもう戻ってこない

by 輪津 直美

「心中天網島」は、篠田正浩が1969年に映画化した近松門左衛門の心中物である。その年のキネマ旬報ランキング1位で、制作・配給は、今は亡きATG。前衛演劇、前衛映画、ATGと、1969年の匂いがプンプン漂う作品だ。貧弱なNetflixの映画ラインナップに、どうしてこの作品が入っているのか謎である。

この映画は、観客の感情移入を全く期待していないようだ。まずオープニングからして気分を削ぐ。浄瑠璃の準備をしている舞台裏映像に、監督が誰かとセットの打ち合わせをしている音声が被さってくるのだ。「あそこにロケハンしてきたんですけどね…」みたいな会話を我々は聞かされる。

劇中では、ごく一部の屋外ロケ以外は舞台の書き割りのようなセットの中を、黒子と役者が様式的に行き来して、そこにリアリティはない。観るものが物語に入り込もうとすると、強いライトによる光と影とか、やけにクローズアップされる黒子の存在とか、武満徹の不穏な音楽が邪魔をする。

役者は、主演に岩下志麻と中村吉衛門、脇に藤原鎌足、小松方正、左時枝など、スターや実力派を揃え、重厚な布陣である。それがこの映画のトンガリをやや緩和させている。とはいっても、主役の二人が舞台っぽい大げさな芝居なので、やっぱり感情移入しにくいのである。篠田監督は、愛妻・岩下志麻に一人二役という難題を与え、彼女はそれに一所懸命応えようとしている。しかし彼女には余裕がなく、いっぱいいっぱいのように見える。私は岩下志麻を上手い女優だとは思わないが、監督の妻ということで使い易かったのだろうから、これには文句は言うまい。ただ、若尾文子あたりだったらもっとエロくてリアルだっただろうなーと妄想してしまう。

それから、かなり寒い時期に撮影されたのだろうか、役者が薄着なのに吐く息がとても白くて、それが気になってしかたがなかった。野外(しかも墓地)で男女の営みを行う場面があり、岩下志麻の太ももが露わになったりするのだが、エロいというよりなんだか気の毒になってしまい、これまた物語に全然入り込めないのだ。そういえば、冒頭で篠田監督は「イイ感じの墓が見つかった」的な事を嬉々として喋っていたので、絶対にそこでロケしたかったのだろうが、残念ながらこれは演出ミスであった。

いろいろと厳しいことを書いてしまったが、2018年の今、こんなけったいな実験映画を豪華出演陣で作るのは不可能だ。1969年は今よりもずっと自由でクリエイティブな雰囲気があったのかな、と、ちょっとうらやましく思う。


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