見出し画像

逆襲のバスク 第2章 策謀編

歴史ストラテジーゲーム『Europa Universalis IV』のプレイ結果を年代記風に脚色したAAR(リプレイ)です。以前、個人サイトに掲載した内容に大幅な加筆・修正を加えました。

本文中の出来事は「歴史家の評価」も含め、すべてフィクションです。実在の人物・団体・国家などとは一切関係ありません。

1499年のナバラ王国。フランスと同君連合を形成しており、独立性は低い。

これまでのあらすじ

ナバラ王国がフランスの支配下に置かれてから40年。王国がフランスに併合されるのも時間の問題となっていた。

ナバラ独立派の貴族は秘密結社パンプローナ盟約を結成。フランスに敵対する大国イングランド、カスティーリャ、オーストリア、ヴェネツィアから
密かに独立への支援を取り付ける。

今まさにナバラの独立をかけて、ヨーロッパ全土を巻き込む大戦争が始まろうとしていた。

エンリケ2世の治世

Enrique II de Navarra(統治2、外交5、軍事0)

ナバラ王エンリケ2世(Stable Diffusion画)

1499年

パンプローナ盟約は新生ナバラ王国の王に若干17歳の青年エンリケを選んだ。彼はナバラ王家に連なる者ではなかったが、諸外国に多くの縁者がおり、外交交渉を次々に成功させて盟約内で頭角を顕していた。

当然、保守的な貴族はエンリケを王として戴くことに猛反発した。彼はその生涯を通じて、簒奪者の汚名と戦うことになる。

エンリケはカリブ海の植民地セント・マーチンに臨時政府を樹立すると、ナバラ王エンリケ2世と称し、フランスに対して独立を宣言した。

独立宣言から時を置かずして、イングランド、カスティーリャ、オーストリア、ヴェネツィアの4大国が支持を表明。エンリケ2世と同年齢の若きフランス王シャルル8世は叛徒どもの粉砕を命じ、ナバラ独立戦争が勃発した。

開戦直後の戦力はナバラ側が圧倒的に優位だった。イングランドとヴェネツィアは優れた海軍で制海権を確保し、他の2カ国は強力な陸軍でフランス軍に対峙する。そういう手筈であった。

攻撃側:ナバラ、イングランド、カスティーリャ、オーストリア、他
防御側:フランス、他

1500年

ヨーロッパで血みどろの戦争が続く中、エンリケ2世に嫡子ガルシアが誕生した。この時すでにナバラ本国はフランスの占領下にあり、平和なのは臨時政府が置かれたセント・マーチンだけとなっていた。

独立戦争が続く中、新生ナバラ王国の臨時首都セント・マーチンは平和を謳歌していた。

1501年

フランス軍と小競り合いを繰り返していたカスティーリャとオーストリアの軍勢が、両軍の兵を結集してフランス軍に一大決戦を挑んだ。熾烈な戦いの末、数の不利を覆してフランス軍が勝利。カスティーリャ領は次々とフランスの手に落ちていった。

1502年

オーストリアの軍勢がフランスの首都パリを包囲する中、相次ぐ激戦で多くの兵を失ったカスティーリャがフランスと講和。独立戦争から脱落した。

フランス軍がパリ解放に向けて進軍中との報がもたらされると、ナバラ臨時政府では貴族たちが抗戦派と降伏派に分かれて議論を戦わせた。フランス軍の到着までにパリが陥落する見込みはほとんどなく、オーストリア軍が敗退すれば交渉の余地すらなくなることは明白だった。

貴族たちの議論を黙って聞いていたエンリケ2世は一言こう言ったと伝えられる。

「しばし待て。」

まもなく、パリ陥落の報せがもたらされた。街の内側から城門が開かれたとの伝説もあるが、それを裏付ける史料は残されていない。パリ陥落を機にナバラとフランスの間に講和が成立。ついにナバラ王国は独立を回復した。

ナバラ独立のために両陣営合わせて23万人もの犠牲者を出したが、独立戦争の間、ナバラ軍は一戦もしていない。まさにエンリケ2世の外交的勝利であった。

戦後、エンリケ2世は正式にセント・マーチンへの遷都を決定した。

1503年、ナバラ独立直後のヨーロッパ。ナバラの独立は外交的勝利の賜物だった。

1510年

エンリケ2世は国を挙げてカリブ海への植民事業を推進した。植民者たちは驚くほどの熱意で土地を開拓し、あるいは交易地を築き、次々と新しい植民地が生まれていった。

1519年

ナバラ王国の後継者ガルシア王子が重い病に倒れた。植民者が持ち込んだヨーロッパの風土病によるものであった。エンリケ2世はヨーロッパから高名な医師を呼び寄せ、王子は一命を取り留めた。

1520年

フランスが神聖ローマ帝国の司教国リエージュに宣戦を布告。これに対し、神聖ローマ皇帝の座にあるオーストリア大公が帝国防衛を名分に参戦した。独立戦争以来オーストリアと同盟関係にあるナバラも戦争に加わった。

攻撃側:フランス、他
防御側:リエージュ、オーストリア、ナバラ、他

1521年

この年、ナバラは新大陸原産のタバコ市場の支配を確立した。

新大陸原産のタバコは嗜好品として急速に全世界に普及した(画像出典)。

1523年

突如フランス艦隊がカリブ海に出現し、首都セント・マーチンの民を恐怖に陥れた。わずか20年でカリブ海は安全な楽園ではなくなっていた。

この年、オーストリアがフランスと単独で講和を結び、戦争から脱落。エンリケ2世はフランスに講和の使者を送ったが、フランスは和平に応じようとしなかった。

畳み掛けるように、カスティーリャが神聖ローマ帝国の領邦ホラントに宣戦を布告。熟慮の末、エンリケ2世はオーストリアとの同盟を破棄した。この時、ヴェネツィアとの同盟はすでになく、ナバラの同盟国はイングランドとカスティーリャの2カ国のみとなっていた。

1524年

リエージュがフランスに全面降伏して滅亡。戦争は終わりを告げた。

1525年

エンリケ2世は中央アメリカの先住民シウと盟約を結び、ヨーロッパの文明を伝えた。

1525年の中央アメリカ。マヤ文明の流れを汲むシウが最大勢力となっていた。

1526年

イングランド王より、カスティーリャとの同盟を破棄せよとの通告が突きつけられる。両国は大西洋と新大陸の覇権をめぐって対立しており、エンリケ2世は窮地に立たされた。エンリケ2世は教皇に仲介を求める使節を派遣し、この危機を回避した。

1528年

エンリケ2世は南アメリカで覇を競う先住民国家のひとつカハマルカと盟約を結び、ヨーロッパの文明を伝えた。

1528年の南アメリカ。東部にはイングランドやポルトガルが進出し始めている。

1536年

フランスと同盟を結ぶスコットランドが、イングランドに対して宣戦布告。イングランドの求めに応じ、エンリケ2世は参戦を決定した。

攻撃側:スコットランド、フランス
防御側:イングランド、ナバラ、他

1537年

イベリア半島北部でナバラ艦隊とフランス艦隊が交戦。ナバラ艦隊が圧勝した。先の戦争での教訓から、エンリケ2世は有事に備えて大艦隊の建造を命じていた。

この年、ナバラは新大陸で栽培が広まりつつあった砂糖の交易を支配するに至った。

1540年

フランスは多くの艦船を失い、戦争はイングランドの勝利に終わった。

1540年のヨーロッパ。ナバラは相変わらず小国だが、新大陸で植民地を拡大しつつある。

1541年

カリブ海全域の支配を目論むカスティーリャはナバラとの同盟を一方的に破棄した。

1543年

カスティーリャが中央アメリカの金銀を狙ってシウに戦争を仕掛けた。盟友の危機にエンリケ2世はシウを助けカスティーリャと戦うことを決断する。

攻撃側:カスティーリャ、他
防御側:シウ、ナバラ、他

開戦後、ナバラ軍はカスティーリャの植民地を次々に奪っていった。カリブ海に現れたカスティーリャ艦隊もナバラ艦隊によりあっけなく駆逐された。

マヤ文明の遺跡チチェン・イッツァにあるククルカンの神殿(画像出典)。

1546年

戦争が膠着状態に陥る中、フランスがカスティーリャの背後を襲った。

攻撃側:フランス、他
防御側:カスティーリャ、他

すべてはエンリケ2世の張り巡らせた策謀であった。この戦争はフランスの大勝利に終わり、カスティーリャは多くの領土を失った。

1548年

カスティーリャがシウとの講和に応じ、カリブ海の動乱は幕を閉じた。カスティーリャの植民地はカリブ海から一掃され、ナバラはカリブ海の覇権を握った。

1548年のカリブ海。カスティーリャを駆逐したことでナバラの覇権が確立された。

1550年

新大陸ばかりに資金を投じ、ナバラ本国を顧みないエンリケ2世に不満を持つ貴族たちが、正統なナバラ王の擁立を目指して密約を結んだ。

1552年

イングランドがジブラルタルの獲得を目指し、カスティーリャに宣戦を布告した。

攻撃側:イングランド、他
防御側:カスティーリャ、他

1554年

カスティーリャが再び建設を進めていた植民地をイングランド軍が次々に焼き払った。エンリケ2世はすかさずその跡地にナバラの植民地を建設するよう命じた。

その頃、不平貴族は旧王朝に連なる国王候補を探し出し、武装蜂起の準備を進めていた。

1555年

初代ナバラ王エンリケ2世はこの世を去った。享年73歳。死因は赤痢だと伝えられる。その治世は56年にも及び、独立戦争中に誕生した新国王ガルシア6世はすでに55歳になっていた。

ナバラ王国に普及し始めたマッチロック式マスケット銃。いわゆる火縄銃である。

歴史家の評価

エンリケ2世が新生ナバラ王国の歴史において、最も偉大な王の一人であることには議論の余地がない。

若干17歳で玉座につき、ナバラ独立戦争を勝利に導き、植民地の拡大に尽力し、さらに新天地を守るため戦い抜いた。その外交手腕は当時のヨーロッパに比肩するものがなく、数々の大国が彼の掌の上で踊らされた。

一方、当時の彼は常に簒奪者の汚名を背負い、国王としての権威を保ち続けることに腐心しなければならなかった。生涯を数々の勝利で彩られながら、その権力基盤は必ずしも強固ではなく、ひとたび失策を犯せばたちまち玉座から滑り落ちる危険性をはらんでいた。

彼はアメリカ先住民に融和的な政策をとったことでも知られる。彼の外交手腕に鑑みれば、純粋に人道的だったと考えるよりも、大国に対抗するため先住民を利用しようとしたと考える方が合理的であろう。

現在の状況

  • 統治技術:レベル11(織物工場)

  • 外交技術:レベル12(軍艦)

  • 軍事技術:レベル11(マッチロック式マスケット銃)

  • アイデア:探検7、拡張3、軍量0

  • 植民地数:24箇所

  • 交易首位:タバコ、砂糖

  • 国難「内戦」の発生まで残り3年

次回予告

ナバラ独立戦争を勝利に導き、植民地の拡大に尽力し、新天地を守るために戦い抜いた偉大な王は世を去った。

王国全体が喪に服する中、先王の政治に不満を持つ貴族たちは正統なナバラ王の擁立を目指して武装蜂起の準備を進めつつある。

はたして、新生ナバラ王国の運命やいかに。

(第3章 風雲編に続く)

最後までお読みいただきありがとうございました! よろしければ投げ銭をお願いします。