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刹那的であることと、古きを慈しむこと

宮崎に来ていると、底抜けの明るさと陽気さを全身に感じる。

今こんな景色を見ながらこれを書いている


ハッピー♪───O(≧∇≦)O────♪

そんな感じで、とにかくかーるいっ❣️✨

でも正直、今の私にはあんまり馴染めない感じがする。

なんでだろう。

徹底的に今を楽しむことに全振りする感じというか、
後先考えていないというか、
刹那的、というか。
(南国の皆様がそうというわけではなく、あくまで私の感じた雰囲気の話です!)

私は古いものが好きだし、歴史も好きだし、
過去との連続性も重んじるし、
本当に価値のある本物が好きだ。

カタイよね🤣

刹那的であることと、古きを慈しむことは、
両立するのだろうか。

今を全力で楽しむことと、過去との連続性を考えることは両立するのだろうか。

そんなことを考えていたら名言を思い出した。

映画「フォレスト・ガンプ/一期一会」に出てくる名言。

ぼくらにはみんな運命があるのか、ただ風に吹かれてただよっているだけなのか、分からない。
でも、多分その両方なんだろう。
多分、同時に両方が起こっているんだろう。

映画「フォレスト・ガンプ/一期一会」

最初から決まっている運命、風のように流れに乗る今。

そして、二項対立なんかではなく、
刹那的なこともまた連続していて、
過去の連続性を考える間もまた刹那なのだ。

どちらかが嘘やまやかしなのではにく、
それは全部本物なのだ。

もちろん、思い込みで書き換えられた過去やまやかしの欲求はある。

そういうものだけ取り除いて、あとは身を委ねることなんだと思う。

過去からの連続性も、古きを慈しむことも、
刹那的なことも、今も、
ただ感じていることが大事なんだと思う。

感じることこそが、この世界に生まれた私たちへのご褒美であり、恵みなのだから。

※途中から公開後編集してます、それがweb記事のいいところ♪


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