何かをした日と、そうでない日。

「今日は××した!」と思う日と、
「今日は何も出来なかった」と思う日が誰でもあると思う。私は、しょっちゅうある。
でも厳密に言うと、何も出来なかった日はないと思う。

例えば、
起床した=目を覚ました。体を起こした。
ご飯を食べた=自炊をした・何かを買いに歩いた・昨日の残りを食べた(冷蔵庫から出した)。

など、何もしていない事はない。
朝に当て嵌めてみると、起床・朝食・身支度・出勤や登校・家事など、これだけだと思うけど、更に深掘ってみると何十個もこなしている。

朝だけで。

なぜ、何も出来なかったと考えるんだろう?

何かをする、この「何か」は、人それぞれだと思う。当たり前だけど。
何かを大と捉えるのか小と捉えるのか?
当たり前のことと捉えるのか?

起きただけで偉いわ。
と思うのか
今日はミスが多かったから、思うようにいかなかった。何も出来なかった。
と思うのか。

だけ・から、でだいぶ違うように思う。

今日はミスが多かっただけ、思うようにいかなっただけ。
だけ、の方が小さいように思う。
ミスが多かったのにも、理由がある。
例えば、作った資料にミスが多かった。
それは、資料を作ったから起きた事。
色々と調べて作った資料だったら、
・調べた
・作った
もう2個こなしている。
さらに深堀れば、もっとこなしている。

お家にいる人だったら、
「今日はゴロゴロして何もできなかった」
・起きた
・食事
・スマホを見た
・家の中を歩いた
4個も、こなしている。
さらに深堀れば、もっとこなしている。

本当に本当に何もしていないという人。
・呼吸
・自分の目で何かを見る
・そうする事で今日も自分を生かした
3個も、こなしている。
もっともっと深堀れば、もっとこなしている。


こんな感じで、生きている上で、何も出来なかった
ということは皆無だと思う。

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