好きだったものが変わっていくこと

5人のうち誰かが抜けることなんて想像もしなかった。ももクロでいることを、5人ともが「サイコーっ!」って、いつでもいつまでも心の底から思っているに違いないと思っていた。でも、その考えは私がそうであってほしいとももクロに願う姿でしかなかった。ももクロはいつだって、私の見たいものを見せてくれていた、と今になって思う。私の好きな夏菜子でいてくれて、しおりちゃんでいてくれて、あーりんでいてくれて、れにちゃんでいてくれて、ももかでいてくれて、ももいろクローバーZでいてくれた。何年も何年も、そうして見たい姿を・そうであってほしいと願う姿でいてくれたももクロに、それからももかには、感謝が溢れて止まらないって思う、本当に有難う。

生中継で見た卒業ライブは、始まりから終わりまでずっと泣きながら見た。もうこれから聞けることのないこれらを、ただ泣きながら聴いた。一番悲しかった瞬間は、ももかに4人から花束を渡すところ。4つの花束が出てきたとき、「あれ?4つ?」って思った、当たり前だよ、だって送り出す4人から有安へ送る花束だもん、5つじゃないよ、4つなんだって、そう実感した時に本当に涙が止まらなかった。

有安のいないあの空。ああ、いないのはきえることじゃない、いないってことがずっと続くことで、いるよりもずっと傍にいるってカルテットで坂元さんも言ってたよ、これは本当なんだね。でも最後にもう一度だけ聞きたかったな、大好きな5人が歌う、大好きなあの空へ向かって。全く忘れていたよ、ももかが有安杏果という一人の女の子として、自分と同じように自らの人生を生きているということを、忘れてしまってたよ。ひとりひとりの人生という道が、五人の道が交わってももいろクローバーZというものが生まれていただけなのに、元から一本、太く永遠に続くももいろクローバーZという道があるものだと思ってしまっていた。私からしたら何もかもが輝いて見えていたから、苦悩や葛藤は分からない。5人が今日一人一人話した言葉には邪推したくなるような言葉もあったけど、絶対に他人には分からない苦悩や葛藤が人にはそれぞれあるから、ももかにも私には到底理解できないようなそれらがあったんだろうなと思うし、本人からすればそういった邪推が一番その本人を傷つけるってことは、なんとなくわかるから、見えるものだけ形あるものだけ、バカみたいに信じることにする。それがオタク道だ!大好きな人の幸せを祈ります。人生は最悪なこともいっぱい起こったりするけど、いいこともそれなりにおこったりするから、きっと大丈夫だね。

ももクロが夢や目標を叶える姿を見て、一緒に泣いたり喜んだりして、私はずっとももクロというドラマを見ていたようだった。幸せなドラマだった。ドラマの続きが見たくて私はももクロを応援していた。紅白、国立。この二つを叶えた姿を見て、私はももクロドラマの最終回を見たような感覚でいた。それは悪い意味でなくて、それからのももクロは夢を応援される側ではなくて、誰かの夢を応援したり、背中を押す側になったみたいだったから。それからのももクロに、私はありったけ慰めてもらったし背中を押してもらった。


規模は全然違うけど、私も過去アイドルグループを卒業したことがある。「わたしにとってあなたがそういう存在だった」と、今回のことがあってそういってもらって、「ああそうだったのか」と、改めて人に応援してもらうことを考え直した。たくさんの人を幸せにできる人ほど、たくさんの人を悲しませることもできてしまう。幸せにした分だけ責任はあって、それでも人は自分のためにだって生きていかなきゃならない、自分のために生きられるのはやっぱり最後は自分だけなのだから。誰かのために何かを頑張ること、自分を自分で守ること、難しいことだと思う。



ああ、好きだったものが変わっていくこと。こんな風に長ったらしく自分語りをしてしまうくらいに、私は5人のももいろクローバーZが好きだったんだな。有安杏果が好きだったんだなぁ。

有安杏果さん、本当にお疲れさまでした。本当に、有難うございました。疲れたら一休みして、また歩き出せばいいよね。


待ってろ東京ドーーーーム!4人のももクロも、どうせ好きだ!

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