考えごと、

たまーに帰省するとイヤでも自分のルーツと今の私を比較して考え事しちゃうんだけど。

やっぱり、私の人生はいつでも[没個性の強制と優先思想で縛り付けてくる人たち]との戦いだったなと。
だからこそ、今の私は[自分の個性も他人の個性も‘認める’ひと]になったんだと思う。
まあでも、私の場合は「どんな個性も認める」=「他人を精査しない」→「他人に無関心」。


そして、私の派手と言われる見た目は物事の本質をきちんと考えず筋の通っていない、聞こえと都合のいいだけの偏見と屁理屈に対する[誰も傷つけない健全な反骨精神]かなと。
貴方が考えて思うよりも、私はもっと私のことを想って愛してるから「こうしてるんだ」って自信が持てる水準とプライド。

だからそこは不可侵でないといけなくて、そこを侵されると無性にムカつく
そして、意図的な無関心発動。(拗らせた天邪鬼だ)

一方で、容姿や生き方に外野から何か言ってくる人ほど好むであろう育ちと学歴という表象的な武器を隠し持っている事実に安心してしまっている。
自分のその、憎んだはずの‘優先思想’に歪んだ矛盾を感じる。

結局ひとって、自分の都合のいいようにしか考えないんだなとおもう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?