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現代的偶像崇拝、アイドルの在り方

私はアイドルが好きだ。
だけど、握手会やサイン会に行くことはない。
歌って踊る、あくまでコンセプトをこなす彼ら・彼女らにしか興味がないからである。

でもこれって、すごく私は残酷なことをしてしまっている。
アイドルだって人間だ。
なのにその為人を度外視してしまっているから。
だけどある意味、健全な「アイドルの消費」をしているとも言える。

IDOLの意味は、そもそも偶像のことである。
だからアイドルの推し活はある意味、偶像崇拝と同意義だと思う。
偶像はあくまで象られた像であり、その為人は本質でない。

ただ、アイドルの面白いところは神話性(コンセプト)を持った偶像なのに、ライブに行くと確実にそこで息をしている肉体で生きていることだ。

このアンビバレンスが明瞭に表象されていたのが、最近だとキー君の「Gasoline」だったと思う。
異次元的なスタイリングをキー君が着こなすことで、そこには圧倒的に美しい異質(アンビバレンス)が生まれている。


レドベルの「Feel My Rhythm」にも、違った手法でそれはあらわれていたと思う。
G線上のアリアで曲が始まり、ヒエロニムスボスの「快楽の園」の世界観に「オフィーリア」などの絵画要素も盛り込んでいる。
元あった古の神話に、そのまま生身の彼女たちを落とし込んだのだ。
かなり前衛的な試みだったと思うけど、レドベルのコンセプト体現力もあって様になっている。



人生を神話に肖ることができれば、人はだいぶ生きやすい。
でも、今の日本で大手を振って、何かを信仰することは難しいのかもしれない。
だからこそ、アイドルという偶像が若者の間で、その信仰対象の役割を担っている側面があるのではなかろうか。

「生きる偶像」は残酷だけど、それだけ意義があることだと思う。

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