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「とっておき」と「いつもの」なら

最近、深くに浸透したものではなく、思考の表面をすくったような言葉ばかりをつかっている気がする。日々、多くの人と会話する生き方をしているのに、自分の核から発され、ずしんとした質量を持つ言葉をつかえていないなんて、なんだかもどかしい。そういえばnoteを書くことからも遠ざかっていた。それもきっとそのせいだろう。

𖤣𖥧𖥣。𖤣𖥧𖥣。𖠿𖥧𖥣。𖤣𖥧𖥣。𖤣𖥧𖥣。

次第に暗くなる空を眺めながら、エンジンを切った車でぼんやり考えていたが、おそらく原因は3つのうちのどれかだと無事?着地した。

カフェでバイトする前に飲んでいたコーヒー1杯と、そこでバイトし始めて飲む1杯はちょっと違う。昔は大事なひと時のお供だったものが、バタバタと作り続けるものとなったとき、それは「いつもの」に変わる。たくさん発信しているから、「いつもの」の感じの軽やかさをまとっちゃった説。うーん、あり得る。


あとは…核にある、触れてよいのか置いておいたほうがよいのか分からない考えや気持ちを横目で見ながら、当たり障りのない範囲で組み立てて伝えているから説。初めましての人との会話で結構あるパターン。


最後の1つは、単純に疲弊しているから説。考えるの面倒になるからね。自ずと薄く軽くなっちゃうのかもしれない。

𖤣𖥧𖥣。𖤣𖥧𖥣。𖠿𖥧𖥣。

原因はどれでもいいけど(疲弊)、ちょっと転換期な気配。梅雨だし、ゆっくり生きましょ。しかし、急に思ったけど、言葉から離れて、人としてなら「とっておき」の存在と「いつもの」な存在ってどっちが嬉しいんだろう。今日の頭では結論は出なさそうだからまた考えることにする。

久々のアウトプットに付き合ってくれてありがとう。



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