出産とナショナリズム②buzzfeed medical記事の問題と批判

 さて、次の違和感はそのディティールだ。どうも岩永直子記者は、ツイッターで抗議を受けて、その詳細を一部変えたらしい。

 わたしたちは、何となく命というものを「公平なもの」と思いがちだ。日本の医療は平均的に質が高く、だいたいどこへ行っても同じ治療が受けられる。まれに「駄目な医者」はいるけれど、それでもよほどのことがない限り適切に対応してくれるだろう。それが、優秀な日本という近代国家だ。――こうした医療への漠然とした信頼が、この国の医療制度を形成している。医療制度を批判するなんて、愚かなことだとすら考える人もいる。

 だが、命は公平なものではない。時として、この社会は不公平さを露骨につきつけ、隠そうともしない。そして、この記事は明らかにその一つだ。

 記事を振り返ってみよう。1960年に、当時の皇后であった美智子さまのために、「産婦人科医チーム」が結成される。記事には、「「それは驚きましたよ。同時に身が引き締まりました。『ご無事に出産』以外は許されませんから」という医師の言葉が書かれている。

 そのあと、美智子さまが腹痛を訴えられるエピソードが、「あわや早産? 使われなかった一等室の赤じゅうたん」という副題で書かれている。その前の文章が無いのでわからないが(2019年5月1日21時39分現在)、「赤じゅうたんの一等室」とは、美智子さまが何かあったときに、医師たちが対応する特別室のことだろう。続けて医師は、未熟児の対応のために、「特注の保育器を準備して待ち構えていた」とも述べている。

 繰り返すが、1960年はまだ未熟児出産が多く、新生児の死亡率は高かった。しかし、天皇はこの国で「特別」な存在であり、その妻の出産は「特別」なことである。だからこそ、医師がチームを作り、万が一にも未熟児で生まれてきても保護をする必要がある。なぜあるのか。答えは簡単だ。単に命を永らえるだけではなく、未熟児で生まれた後遺症もあってはならないことだからだ。平たく言えば低体重で生まれてくることだけでなく、その結果として障がいを持つことは許されない。

 「天皇制は差別を生む」。これは左翼の基本的な考えである。トップがいればこそ、その底辺に追いやられる人びとがいる。だからこそ、左翼は天皇制に反対する。この議論はここでやるにはあまりに重いので、申し訳ないが保留しておこう。

 しかし、この記事はあまりにも、医療制度が公平ではないことを肯定しすぎている。「天皇は特別だから」「皇室だから」。それはそうだろう。だが、わたしたちはそんな現実を知りたくはない。また、簡単に飲み込むことができない。

 ここで、わたしの頭をよぎることはこういうことだ。60年代当時、未熟児で生まれた赤ちゃんは、どのように治療されてきたのだろうか。未熟児で生まれたことで、障がいを持たざるを得なかった子どもはどのくらいいたのだろうか。その後、どのような人生を歩んだのだろうか。

 さらにこういうことも考える。未熟児で子どもを亡くしたり、あるいは障がいを負ってしまった当事者や、その家族は、母親は、このエピソードを「美談」とすることができるだろうか。このような医療チームがいてくれたら、「この子」は未熟児で生まれても健やかに育ったのだろうか。そうではなかったのは、わたしは皇室の一員ではないからだろうか、この子が「未来の天皇」ではないからだろうか。

 こうした想像を、荒唐無稽と言えるだろうか。

 差別というのは、差別の顔、例えば相模原障害者連続殺傷事件のように、暴力的で排除的で、権力的な顏をしているわけではない。やさしく温かで、善意そのものとして、わたしたちの日常に入りこむ。その善意に、できれば気が付かないふりをしたほうがおそらくは楽だ。だがこうした麗しい物語にされると、不公平のなかでわたしたちは暮らしていることに、やはり目を向けざるを得ない。医療は公平ではない。助けられる命も公平ではない。(そんなことは分かっているけれど)

 そしてさらに問題なのは、聞きようによってはあからさまに差別的な当時の天皇の、肌の色への言葉すらも、加工されてしまっている何かだ。出産という密室のなかでたまたま発せられた言葉が、「天皇」と「医師」そして決定的なのは「メディア」を通して、外に流れ出してしまった。それを美談に加工する感性に、わたしは信じられないという感想を抱く。

この記事は、ある意味で医療の不公平さを、皇室という存在が示す差別構造を、わたしたちに確認させる内容となっている。

 ただし、その差別が以前よりも簡単に見抜かれる現況に希望をもちたい。今回、子持ちではないわたしが、こんなことを想像するのは簡単だったのはツイッターを見ていたからである。岩永氏の今回の記事は、いわゆる病児を持つ母親のアカウント一部から問題を指摘されている。SNSの発達は、かつて聞くことができなかった立場の人びとの声が拾える。もはや、60年代ではない。

しかし同時に、こうも問いかけたい。なぜこの声が岩永さん、あなたには拾えないんでしょうか。

 さて、わたしが岩永氏に文句を言いたいのは浅はかさだけではなく、こうした記事が岩永氏自身の問題の根底にあることだ。この点については、もう少し頭を冷やしてから書くことにする。

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