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これさえ読めば通ぶれる!アルメニアとアゼルバイジャンの領土紛争について解説


はじめに

昨日、アルメニアとアゼルバイジャンが武力衝突を起こしたというニュースが飛び込んできました。

2020年の武力衝突のあとからも個人的に海外報道を追っており(日本語ソースがほぼ無いので)、両国はずーっと揉めてて小競り合いも繰り返していますが、ここまでの規模の武力衝突は数年ぶりだと思います。

↓2022年に書いた海外報道をまとめた記事

本記事は2020年9月に過去ブログに記載した記事を加筆修正したものです。「アルメニア・アゼルバイジャンってどこ?」レベルから記載しています。難解な用語などはありません。

なお、あくまで「なんでこんなに揉めているの?」という素朴な疑問を軸に、個人が調べた内容を記載していることをご承知おきください。

また武力衝突に関する情報は2020年のものです。

※3000文字くらい

本編

●アルメニアとアゼルバイジャンってどこ?

興味がなければ、アルメニアとアゼルバイジャンの場所はすぐ浮かばないし、知識も殆ど無いと思います。アルバニアと混同する人もいると思います。

場所で言えば、ロシア・イラン・トルコの間に両国は位置します。両国はともに旧ソ連の構成国でもありました。ただ現在は割とカオスな状況になっています。

2020年に発生したアルメニア・アゼルバイジャンの紛争以降アメリカが介入したり、ロシア・ウクライナ紛争の影響でアルメニアに駐留していたロシア軍が駆り出され、そこに生じた空白を突いて~など無茶苦茶です。

これを全部書くと文字数が99999999999不可思議(ふかしぎ)文字くらいになるので本記事では割愛します。

●アルメニアとアゼルバイジャンってどんな国?

外務省のページを基に簡単に表にまとめました。人口と経済規模はアゼルバイジャンが圧倒的です。

自作表

宗教が違う時点で「あ・・・」ってなります。お察しの通りですが、宗教の異なる国が隣り合って、というか自国内で混在していると一度タカが外れるとグッチャグチャになります。ご興味のある方は””ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争””で検索してください。

●アルメニアとアゼルバイジャンはどこで武力衝突しているの?

主に↑の記事の赤色で塗りつぶされた地域で武力衝突が起こっている地域です。

ここはナゴルノ・カラバフ自治州(別名:アルツァフ共和国)と呼ばれる地域で、現在はアルメニア共和国の事実上保護国とされています。

このナゴルノ・カラバフ自治州というのがまさに火薬庫で、実は1988年から1994年の間にも「ナゴルノ・カラバフ戦争」という武力衝突が両国で起こっており、両国合わせて8万人以上の死傷者を出しています。

この戦争でアルメニア側が勝利したため、ナゴルノ・カラバフ自治州はアルツァフ共和国として独立を果たしたわけです。

ただ、この国を承認している国家は殆どないので、この記事ではナゴルノ・カラバフ(自治州)と書くことにします。

●なんでそこで揉めてるの?

当初ナゴルノ・カラバフ自治州はアゼルバイジャンの自治州でしたが、アルメニア人が約8割という歪な人口構造でした。

考えてみれば分かることですが、自国内に隣の国の人間を多く抱えた地域があれば揉めるタネになるのは明らかです。

ナゴルノ・カラバフ自治州に住んでるアルメニア人からすれば「アルメニアに入れてくれよ」と思うのは、当然かなと思えてきますが、それで簡単に再編されたら数万人も死んでないです。

そんなアルメニア人の不満と、アルメニア人の運動を快く思わないアゼルバイジャン側で色々あって、一度ドンパチしたのが先に書いたナゴルノ・カラバフ戦争でした。

●なんでアルメニア人の方が多いのにアゼルバイジャンの領土(自治州)なの?

これ経緯がクッソ複雑なので、アゼルバイジャンの領土にナゴルノ・カラバフが編入された流れを超ざっくり書くと…

ロシア内戦でアゼルバイジャンの方がアルメニアより早く赤化する

→アルメニアが赤化するまでの暫定措置でナゴルノ・カラバフをアゼルバイジャンへ編入する(またアゼルバイジャンを冷遇すれば、トルコ・イランのボリシェヴィキへの悪影響も懸念された)

→アゼルバイジャンの合意のもと、ナゴルノ・カラバフをアルメニアへ帰属させることをアルメニアとロシアが決定する

→ ロシアにてナゴルノ・カラバフをアルメニアへ帰属させることを正式決定する

→この決定を不満に思ったアゼルバイジャン側がロシアへ働きかけ、翌日の会議でアルメニアへの帰属決定が覆される

※決定覆った理由については諸説ありますが、アルメニア人人口が多い地域の帰属を認めると他周辺地域もアルメニアに編入されることを恐れたためだとも。

この流れが1920年頃に一気に起こります。結果的に落とし所が「自治州」なのが見て取れます。「なんかデジャヴだな・・・」と思ったら、パレスチナ問題の時のイギリスです。

当事者全員の認識を一致させず、片方だけと約束を取り交す→話が違うじゃねえかのパターンです。ヨーロッパで15000万回くらい見た。

●じゃあ1920年から1988年まではなんで武力衝突がなかったの?

小競り合いぐらいはあったかもしれませんが、アルメニア・アゼルバイジャンともにソ連の構成国だったのが大きな理由だと思います(※要詳細調査)。

一時期、ソ連内部では「こんなに(ナゴルノ・カラバフ)で揉めるなら、もう赤軍が直接統治すればいいんじゃね?」という意見まであったほどです。親分が目を光らせてる間は大人しくしてた感じですね。

またこれは仮説ですが両国はロシア革命からソ連崩壊までは一つの連邦国家内に組み入れたれたり分裂を繰り返しており、そこまで帰属問題に敏感でなかったのかもしれません。

簡単にまとめたのが↓の画像です。

一目で「これ揉めそう」となる

●結局、どっちの主張が正しいの?

どちらか一方の主張が正しいというのは、ありません。

起源論争にしても、アルメニア側の「アルメニア王国(紀元前2世紀~紀元後5世紀の国家)の時代から俺のものだ」に対してアゼルバイジャン側は「俺は紀元前2000年紀の頃からそこに住んでる」とオークションと化してます。

今回の武力衝突を機に多数の記事・研究書籍が世にでることでしょうから、そういうのは専門家に任せようと思います。自分の意見は持つようにはしたいですが。

●まとめ的なもの

別にアゼルバイジャンの肩を持つ訳ではないですが、ナゴルノ・カラバフ問題について書かれた英語文献はアルメニア寄りが多いです。

※欧米にアルメニア系移民が多数いるため。

得てしてこういう武力衝突に関しては情報が錯綜しやすいなか、英語文献の情報の取捨選択も高度なリテラシー能力が要求されます。なので安易に英文ソースだからと飛び付くのはお勧めしません。

「国名+インターナショナル」を冠したメディアがその国からテロ組織認定されていたりもします。やっぱ国際社会って魑魅魍魎だわ。

なお、いますぐ日本語でナゴルノ・カラバフ紛争の文献を読みたい方にはこちらをお勧めします。個人的にこれが一番纏まっていて分かりやすいです。

廣瀬陽子「ナゴルノ・カラバフ紛争の政治的考察」『日本比較政治学会年報』3巻(2001年)

おわりに

内容については誤りなどあると思いますので、気づかれた方はご指摘いただければ幸いです。

2023年の武力衝突についてはどこまで発展するか分かりませんので、引き続き注視していこうと思います。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

以上

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