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忘れたくない

 すごく今更だけど、忘れたくないのでSYMPHONIAについてのあれこれをいろいろ残しておこうと思う。SYMPHONIAは私が大好きな剣持刀也さんと伏見ガクさん二人ともが同時に出演した周年ライブだったのだけれど、これほど幸せな日はこの先ないかもしれないなと思うほどだった。私は自分が知り得る地球上の人間の中で剣持刀也さんにだけ唯一期待しているくらい剣持刀也さんのことが好きなのだけれど、SYMPHONIAに限って言うと伏見ガクさんのことばかりが思い出を占めている。これは「ステージ上でパフォーマンスする剣持刀也に魅了されて感情の全てが彼に依存する」という体験をもうすでに何度も経験しているせいでもあるのかもしれない。

 今見返してみたら発表があったのは2023年の8月5日だった。いつか周年ライブに出る伏見さんが見れたらいいなとずっと思っていて、でも早くても2024年か25年くらいかなと、少し先の未来のことだと思っていた。Anniversaryグッズで共通衣装が見れただけでもかなり満足していたし、伏見さんは歌をめちゃめちゃやってるわけでもないから、出てくれ!と大声で言うのも違うかなと、もう1年にくらいは何も言わないでいるつもりだった。咎人のステージが見れたらいいなとも思ってたけど、これもこんなにすぐに実現するなんて思ってなかった。(そもそも私は大抵2年くらいでいわゆるジャンル移動をしてしまうので、この目で見られないかもな、という覚悟すら少ししていた。)剣持さんがFANTASIAにも出てたから、今年のにじフェスはライブ自体自分に関係がないものになるかもな、とも思いながら特番を見てた。だから告知映像のトップバッターに剣持さんが出てきた時びっくりしたし、そのすぐ次に伏見さんが出てきたことにもっとびっくりした。あの時、いつも寝ている布団の上でこの携帯を横持ちにしていて、いつの間にかめちゃめちゃな大声が出ていたことを今もまだ覚えている。
発表の2日後くらいに家族に連れられてサンリオピューロランドに行ってショーをすごく良い席で見せてもらったんだけど、「ああ12月には伏見さんもこうやってパフォーマンスしてくれるんだな」と思ってしまって、ショーの最中ずーっと涙を我慢していた。サンリオには全然詳しくなくて、どの子たちにも思い入れがあるわけじゃなかったけど、今のこの瞬間のために積み上げられてきたものがあって、それを最大限発揮したいという強い思いがこちらに伝わってくることは一致しているから、重ねてしまったんだと思う。

 私がVtuberというものを好きになったのは2022年の初夏くらいのことで、サロメさんがものすごくバズっていたのがきっかけだった。当時は2次元のアイドルゲームに再燃して二次創作を書いたり本を出したりしていて、なぜか私はVtuberには絶対にハマらないだろうという自信を持っていた。友達と一緒にサロメさんの口調を真似てメッセージを飛ばし合ったり、たまに切り抜きを見たりしていた。でもサロメさんを追っていたわけでは全くなかったし、映像媒体が得意ではないこともあり、本配信は長いので見ていなかった。その流れでYoutubeのおすすめ欄に剣持さんの切り抜きが流れてきて、何の気なしにサムネをタップした。そうしたら、その1本を皮切りに人生の色パレットを全部塗り替えられてしまった。気付いたら一日で剣持さんの動画を100本くらい見ていて、気付いたら自分の人生には関係ないと思っていたVtuberにハマっていた。ネイルには108のパーツを付けたし、髪色も同じ紫に何度も染めた。
 そういう感じだったので、Vtuberが人生の真ん中にいるのは未だに不思議な気持ちになる。けれどVtuberは3次元の生きている人間に対してしか生まれない重い気持ちと、2次元のキャラクター相手だから出来る限度ない傾倒が両立してしまうものだと思っているので、こう見るとあまりにも私向きだったのかもしれない。

 小学生の時からずっとアイドルが好きだったのに、私はライブを楽しむのがあんまり上手くない。何ヶ月も前から楽しみにするし、タイミングを合わせて美容院に行くし、一番かわいくなれる服を買っておくし、前日は高いパックもするし、いつもより着色直径大きめのカラコンをするけれど、ライブ中のふとしたタイミングで「足痛いな」とか「舞台装置こんな感じだったんだ」とか思ってしまうし、前の人の髪飾りが気になったり、横の人とペンライトの動きを合わせようとしてしまう。ずっとそうなわけではないけど、はっとするタイミングで気が散ってしまうことがそこそこあって、目の前のライブだけに集中することは難しい。
 例に漏れずSYMPHONIAでもそんな感じで、サンリオピューロランドにいた時は「伏見さんが登場したらその瞬間にボロボロ泣いてしまうかも」と思っていたけど実際そんなことはなかった。かなり前の方の席だったけれど若干下手寄りだったので、登場した瞬間はあ、思ったより画面だ!と思った。それに、伏見さんが3Dで共通衣装を着ているという現実に頭が追い付かなかった。ソロの『贅沢な匙』が始まっても脳は追い付かなくて、大号泣用のハンカチは握り締める用の布になっていた。歌謡祭で咎人が『大不正解』を歌った時は曲が終わって暗転した瞬間にしゃくり上げて泣いたけれど、『DAY×DAY』もやっぱりショートした脳には処理しきれなかった。緑仙さんがソロの前奏で「会えたね」と言ってくれたり、フレンさんが声を震わせながらソロを歌い上げていたり、グッときて泣きかける場面はいくつもあったけど、ああこれはこの人のリスナーの人達は今すごく泣いてるだろうな、素敵だな、と思っていた。最後の最後のMCになって、ああもう終わっちゃうのか、めちゃめちゃ楽しいライブだったな、と思いながら話を聞いていた。伏見さんの番になって、配信の人もありがとう、とコメントに触れながら「始まる前から頑張れー!って書いてくれてたの見えてたよ」と聞いた瞬間、ぶわーっと全部がせり上がってきてボロボロ泣いた。これとこれに続く「ひとつだけわがまま言ってもいいですか、みんなでピースやりたくて」を聞いた時、私はようやく共通衣装を着てステージに立っているあの人が、いつもリビングのソファや布団の中で配信を見ている伏見ガクさんと同じ人なんだ、と実感できたのだと思う。あの配信たちとこのステージがたしかに地続きなんだとようやくわかった。
 伏見さんはリスナーのリプライに結構いいねをくれる。これは憶測なので実際にどうなのかはわからないけれど、何ツイートかに一度このツイートに来たリプライ全部にいいねする、と決めているように見える。2022年の誕生日には、おそらく1800件を越えるリプライほぼ全てにいいねをしていた。SYMPHONIAのこの日にも、入場やっとできたよ楽しみ、というリプライを送ったら1時間と経たずにいいねをくれた。リプライへのいいねに限った話ではなく、伏見さんからいつも「見えてるよ」をもらっていたから、私は伏見さんが本当に私たちを見てくれているんだと知っていた。
 ここのMCは本当に本当に嬉しくて、この日家に帰った後3つのアカウントでほとんど同じツイートをして、似たような文章を打つ度にまたボロボロ泣いた。2022年の歌謡祭でオカ研が披露してくれた異世界混合舞踏会の中の伏見さんのパート、「そばでいつも見てるから覚えててね」をずっとbioにしているFF4人のアカウントがあるんだけど、1年前にも同じことを言ってくれてたんだなと気付いて、見慣れた画面の前でもまた泣いた。伏見さんと仲良しの山中拓也さんの「周りから漏れ聞こえる声があまりにも本物で、この子にとって人生なんだなって感じて、僕が立ってるとその子が見えないかもってほぼ座ったまま観てた」というツイートでも3回泣いた。今もこれを書きながらまたボロボロ泣いてしまった。
 今後の人生でこの文章を読み返す時が何度あるのかわからないけど、私はビッグサイトの固い床に並べられたパイプ椅子に座りながら大泣きしたあの嬉しさを絶対に忘れたくなくて、この文章を書いている。もし忘れてしまう時が来るとしても、これを読んで思い出せるようにしておきたい。

 私は古参とは程遠いオタクなので、伏見さんの3Dが出なかった時期のことを知らない。私が伏見さんを知った時はもう3Dになっていたから、リアタイ出来なかったお披露目配信は悔しくてあまり見返せていない。Vtuberが好きな友達は何人かいて、ハマれるタイミングも幾度となくあったから、なんであの時興味を示さなかったんだろう、と何度も後悔した。でも、SYMPHONIAというステージに間に合って本当によかった。
 それから、SYMPHONIAが伏見さんにとって楽しい思い出になってよかった。歌をメインにやってるわけじゃないし、昔は苦手意識があったものだし、本人がそこまで能動的に動いているジャンルではないから、オタクの願望の押し付けになってないか負担になってないか、それで失敗して嫌な気持ちになったりしないか不安だった。振り返り配信で色んな思い出を矢継ぎ早に楽しそうに話してくれてほっとした。

 SYMPHONIAが終わってにじフェスも終わって、ありえないくらいの人でごった返しているビッグサイトをのろのろと歩きながら、めちゃくちゃ幸せだったなあ、と思ってびっくりした。私は「幸せ」という言葉は話す時にも文章としてでも全然使ってこなくて、かなり奥の方の引き出しにしまってある語彙だと思っていたので、ふっとそんなことを思った自分にすごく驚いた。そしてついこの間、カラオケに行ったので伏見さんが歌ってくれた『贅沢な匙』を入れてみたら、サビあたりで泣きすぎて歌えなくなってしまった。そんなふうになると思ってなかったのでまたびっくりしたし、迂闊に人前では歌えなくなってしまった曲が増えて嬉しかった。

この光のひとつになれて嬉しかった

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