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鬱と優越と優悦

例えば。高級なソレを身につけて、大衆に凄い!と褒められたとする。
例えば。素敵な恋人を自慢して、大衆に羨ましい!と言われたりする。
例えば。いい場所に住んで、大衆によかったね!と言われたりする。
ソレって嬉しいですか?


あなたの本来はソレなんですか。
あなたの本性はどれなんですか。

見えてるものですか。
見えてる人ですか。

例えばあなたの怒ったところを見て、誰か一人に''気づかせてくれてありがとう''と言われる。
例えばあなたの泣いたところを見て、誰か一人に''どうしたの?''と言われる。
例えばあなたの喜んだところを見て、誰か一人に''よかったね''といわれる。
例えばあなたのダメなところを見て、誰か一人に''そんなあなたも好きだよ''といわれる。

ソレがわかりますか?

一つ一つの気遣いを気づけていますか?

私は一年の半分くらいは死にたいと思っています。
些細なことでそう思わせられます。
仕事がうまくいかなかったり、恋人に理不尽に怒られたり、友達に裏切られたり、他人に理解してもらえなかったり。そんな小さいことでも、もう嫌だ。と投げ出したくなります。
信じていた少ない人にも、そんなつもりないのに勝手に解釈されて〇〇だよね。とか〇〇しないでね。とか言われたりします。それがどうしたの。と思います正直。
その瞬間私は大きく裏切られた気持ちになるのです。全てを理解してもらってるとは思いませんが、現実にそう言われると、大きく振られたような気持ちになるのです。
あなたに嘘の褒め言葉や嘘の安心感を与えることが私の役であるとするならば、それは薄っぺらい人間関係ですね。

私は久々に親戚や馴染みの人らに会いました。
話すことが混雑して脳みそが疲れましたが、同時にこんなに色々気にしてくれてるのか。こんなに話したいのか。と嬉しい気持ちになりました。ですが価値観などはたくさんあって、時にぶつかることもあります。でも意見や感想を言ってこそホンモノの悦が生まれるんです。
優しさによって生まれる悦びで優悦と付けたいほどです。

形でしか優越を得られない人たちが少しでも心から何かを信じて曝け出せたら、世界は平和になるのでしょうか。

今日祖父がキラキラした目で私に小さい声で、スマホを買ったからツーショットを撮ってくれ。と頼んできた。
まるでファンのようで可愛くて、恥ずかしかった。
少なくとも私は、祖父が悲しむ人間になるのはやめようと思った。


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