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「コーヒーと短編(庄野雄治 編)」を読んで


素敵な本に出会えた。
主に大正・昭和前半の作家の短編を中心としたアンソロジー。
名前は知っていても読んだことがない作家がほとんどで、何を読めばいいか迷うことなく作品に触れることができるのが嬉しい。

「はじめに」で編者の庄野さんが述べられている〈強弱とリズムのある自由な一冊。〉〈コーヒーも本も、決まりはなく自由に楽しむものだ。〉に共感してページを捲った。
タイトルどおり、コーヒーをお供に。


骨太。どの作品も言葉がぐいぐい迫ってきた。
一つ読む度に「言葉の力」に圧倒され、刺激される。
時代など関係なく、どの作品も生き生きしている。息吹。
すべてを読み終え、今、頭の中が興奮している。快感。

読み継がれる作品たち。それらはやはり〝いいもの〟だとあらためて納得。

〈たくさんの人の〝いいもの〟が至るところで渡される世界になるといいなと思う。〉

たしかに受け取りました。


【感想】

桜桃:太宰治
子供より親が大事…本音をストレートに綴っている。言い訳としか受け取れなくもないけど、フリをする苦しさ、内心が迫ってくる。

越年:岡本かの子
文章に勢いを感じた。目の前で人物たちが行動しているようで、女性たちの強さ逞しさが生き生きと伝わってくる。

西東:坂口安吾
テンポよく会話が進む文章で、読みながらクスクス笑いが止まらず、しまいには吹き出しそうになった。掛け合い漫才みたいだった。カフェ読書中だからマスクでニヤニヤクスクスを隠せて良かった。

死神の名づけ親:グリム童話
童心に戻ったようだった。主人公に「だめだよ、そんなことしちゃ」と心の中で言っていた。訳文がまるで読み聞かせをしているようで、なおさらハラハラした。

団栗:寺田寅彦
団栗を無邪気に拾い集める妻とのささやかな思い出や、どんぐり拾いを無心に続ける我が子の描写は、淡々としている中に無言の熱い想いを感じた。

蜜柑:芥川龍之介
横須賀発の薄暗い二等客車に主人公の私と田舎者らしい小娘という場面がありありと浮かんでくる。汽車の音、小娘が発したであろう声までも聞こえてくるようで、文章力や描写力の強さとはこういうことを指すのだと思った。

水仙:林芙美子
この母と息子は一卵性の双子くらい似た者同士に思える。こんな自分はお前のせいだとお互いに罵り合う。改行なしの会話文の応酬がテンポと臨場感を増す。愛情表現が言い合いでしかない哀しさ。息子との別れの直前には殊勝な気持ちになる母が、直後にはまた元の悪い振る舞いをする。身に染み付いた業が哀しい。

夕焼:吉野弘 (詩)
よくあるシチュエーション。席を譲る譲らないの気まずさ。年寄りも色々。譲る者も色々。娘には譲れた駅がたとえひと駅になったとしても譲ってほしい。そうしたら、気持ちが楽になるから。やさしさが折れてしまわないように願う。

プールのある家 : 山本周五郎
これは虐待ではないか!父親に腹が立った。男の子(息子ではないかもしれない、いつのまにか二人で暮らしていたのだろう、と想像する)の健気なことが、父親の無能さを際立たせる。どうしようもできない境遇に陥ると空想に縋るだけになってしまうのか。抜け出せない、抜け出そうとする意志さえなくなってしまうのか。

一ぷく三杯 : 夢野久作
欲張りもほどほどにしないと命取りになる、と戒める寓話。お婆さんの茶屋や容貌が映像として現れてきた。

笑われた子 : 横光利一
夢に出てきた口の裂けた笑い顔を木彫りして、下駄屋になる…何のメタファーなのだろうか。それともそんな意図はなく、ただそういう人がいたという話か。心情を抑えた語り。

檸檬 : 梶井基次郎
鬱々と屈折した私が檸檬爆弾を仕掛けて憂さ晴らしをする。レモンの爽やかさが物騒な話を浄化する。象徴的。

メロン : 林芙美子  (詩)
メロンと梨瓜(マクワウリ)で対比させて妻の怨念が鋭く突き刺さる。裸で食べるという表現で哀しさが纏わりついてくる。強烈。

赤い蝋燭と人魚 : 小川未明
童話のような昔話のような。人間はどうしても欲が出てしまうものか。人魚の母が子どもを人間世界に送らなければ、村も人魚も平穏だったのにと考えると、現状に満足することの大切さがテーマなのかとも思う。

一房の葡萄 : 有島武郎
敬体の文であることを差し引いても、奥ゆかしく控えめで丁寧な作風は変わらないなと思った。登場人物たちも善き人ばかりだ。現代では、先生をこんなに眩しい憧れの象徴として描くとかえって嘘くさくなりそうだ。

小さな王国 : 谷崎潤一郎
ベテラン教師よりも威厳と権力を持った生徒が学級を治め、しまいには教師も自らその手下になるという話。読後、「なんじゃこりゃ?」と呟いた。谷崎潤一郎ってこんな話を書く人だったのかと驚く。

謀られた猿 : 安藤裕子
よくわからない事態になると不安になる。不安になると何かに縋りたくなる。そこに付け入られ、謀られる。盲信すると猿になる。猿になると楽になる。世の中に猿になった人が溢れている。ともすると、そうなっていたかもしれない世界。今はまだ大丈夫だ。騙されるな、惑わされるな、という話かな。

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