短歌と毛筆を布教された話

特にタイトルを思いつかなかったのでネタバレをタイトルにしてしまったのだが、短歌と書道をすすめられてしまった。えらく楽しそうにすすめられてしまった。熱を失わないうちに書いておこうかなと

偶然仲良くなった偶然趣味の近い人が書道をずっとやっていて、小3くらいだかでドロップアウトしてしまった僕からしたらもうそれはそれは修行を終えて悟りに至った僧のようであった。
僕はいつからかはじめたカリグラフィを趣味にしてて欧文が好きで、そのひとはずっと漢字と向き合っているために、お互いの趣味の話をしていたらいろいろ当時知りえなかったものを教えてもらった。

毛筆も使う人に合わせる筆記具であるということ。万年筆はまあ実際ニブが擦れて書くときの癖に応じて形がかわるのだが、それはまあ先が固いゆえだろうと高をくくっていたので、毛筆でそうなるというのはとても驚いてしまった。逆に相手は硬くてもそういうことが起こるんだと驚いていてなにか新鮮だった。
使い手に合わせるっていいですよね

そのひとに作品を見せてもらったのだが、筆ってここまで自由なんだという感想しか出なかった。チューリング完全ってわかっている言語でいざWindowsが動いていることをのぞきみたような、臓器が蠕動するグロテスクさを目にしたようなそんな感覚。

ほんとうに守破離を体現したような人で、お師匠さんの方の話や、いまのはなし、むかしのはなしをしてくれた。型破りと型無しは違うんだと教わったが、まさにそのとおりだった。

短歌も布教してもらった。少しづつ書こうかなとも思ったんだけれど、このnoteを書いている間にかなり執筆速度が遅くなっていってるのを感じたのでリハビリで普通の文章ばかり書くかもしれない。あと報告書やらがたまっているのでそれもせねば。

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