映画「かえりみち」に寄せて 「家、自由、今日」

行こう、早く」
―どこに?
「おうちに」

帰る場所がある、それは、私たちが自由でいられることの証明でもある。
帰った先の場所で私たちは自由でいられる。
しかし、帰る場所は檻にもなる。
だが、帰る場所があるからこそ、私たちは自由へ”も”向かって行ける。
家は、檻にも翼にもなる。自分を縛り付けるものから逃れる自由も、自分の場所で翼を広げる自由も、そのどちらも自由であるということに変わりはない。
自由は、その場所、その環境、その社会によって変化する。自由そのものは誰にも、何にも規定されない。それが自由の自由たる所以であり、人間が自由を手に入れられない理由でもある。手に入れられるものを人間は求めない。

そして、人間は自由を求め続けなければいけない。
自由には果てがない。果てがないからこそ、私たちは生きている。
少なくともこの文章を書いている私は、まったくの白紙に、自分の言葉を打っている。この文章を書いている中において、私は自由である。
この文章がどのように展開していくのかを私は知らない。だからこそ、書くことができる。
私はこの文章を、東京の武蔵野市にある家で書いている。築20年、1LDK、家賃11万、50㎡のこの部屋。パートーナーと住んでいるこの部屋。
ここは私の家だ。私はここから自由を求め、そしてここに帰るとき、あるいはコーヒーを淹れるときに、自由を感じる。

先日、群馬県伊勢崎市にある実家に一週間ほど「帰った」。
私はそこで6歳から18歳までの13年間を過ごした。「実家」と呼ぶべきなのだろうか。
かつての私の部屋には、私が上京に際して置いていった雑誌や漫画があり、私が帰ったときにしか使われないベッドがある。
その部屋に入るとき、私は「帰ってきた」とは思わない。寝るための部屋。故郷に滞在する、という妙な感覚の中で、睡眠をとるための部屋。
「実家」のある土地は、生前祖父が購入した土地で、それ以前はかつての中心市街地に住んでいた。
かつての中心市街地は、1945年8月15日、戦争が終わる日の明朝に、米国による空襲を受けている。
家を失い、そして家を手に入れようとした誰かの意志で建てられた家で祖父は育ち、私の母も育ち、そして私もそこで6年間を過ごした。
今はその土地は更地になり、草が生い茂っている。
母親の携帯電話の待受画面には、取り壊し前の、母親の「実家」が設定されていた。
もう誰にも見られない家。誰も帰らない家。プラスチックの下地が目立つ携帯電話を開くときにだけ、母親の目の前に表れる家。

「実家」を出て、東京へと「帰る」。
「実家」と「東京」は分断されているし、だからこそ接続もされている。そのつながりはときどき強くなり、そして弱くもなる。私は、どちらにも帰ることができる。
帰るときに、新宿駅で中央線に乗り換える。
新宿駅に降り立つたびに、毎回思い出す光景がある。
2011年の3月、電気の落とされたアルタ前広場で星を見た。募金をつのる人たち。プラカードを掲げる人たち。
お前はどちら側の人間なのかと耳元で、大声で、聞かれているような気分になった。
どちら側でもない、と答えることさえ、「どちらで側でもない人」と括られるような感覚は、あの日から日に日に増している。2018年の今でさえも。
どちらかのひとたちは、手を取り合い、つながりあい、声を上げる。
あの日について何かを言うことについて、ずっと何もできなかった。
私はあの日に何も関与していない。しかし、社会と私は関与している。あの日という断絶を挟み、つながりを強くし、そして分断を引き起こし続けている。
そして、その社会の中で私は生きている。生きていかなければいけない。
私は被災者ではない。しかし、当事者ではある。社会が、人間によって構成されている以上、私を含めたすべての人間は当事者になってしまっている。すべてはその事実なしに思考することはできない。
すべての人間は、社会において、自由ではない。だからこそ、自由を求めなければいけない。
当たり前のものを、当たり前だと認識してはいけない。今日あるものが明日あるとは限らない。だから、今日から始まる時間を生きていく。

この映画は、声を失ってしまった、しかし、自由でありたいすべての人に、見られてほしいと思う。
誰も声を上げる必要はない。事実はここにある。事実は、自分がいま立っているこの場所にある。あなたがこの文章を読んでいる場所にも、この映画に記録されているものにも、そしてこの映画が上映されている、あなたがいまいる場所にも。
ただ自由でありたい。どこかへ行きたい、すべての当事者へ。
私は二度と、アルタ前で星を見たくはない。
自由の喜び以外の理由で泣きたくはない。しかし、自由を手に入れるためなら、いくらだって涙を流していいはずだ。
どこにも帰らなくていい、どこに帰ってもいい。
だから、行こう、早く。おうちに。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?