息継ぎ。のまわりにある何かの雑記。

息継ぎをしていたい。

無数の声が重なるこの世界の端で
たくさんの主義主張が飛び交うこの社会の隙間で
息継ぎ、していたい。


何かを形にすること、
何かに線を引くこと、
どこか、
息がつまる。

何かに意見を言うこと、
何者かになろうとすること、
なぜか、
息が止まる。


積み重ねつづけるということを
どうにか
手放したい。


手放したいと思っている間は
積み重ねつづける世界にしかいられなくて
だから、手放したいなんて思う前に
手放せているじぶんで
ありたいなんて、思ってしまう。



いいえ、
私は刻んでゆきたいのです。


この世界のうつくしい景色を
切り取ってゆきたいのです。


記録も威光も積み上げることなく
切り取った一つ一つの景色を
ひかりを、
だいじに抱えて
その先に見えるたったひとつの景色を見てみたいのです。



必要なことは、
きっと、
私が生きた証を刻んでゆくことです。


どこかの誰かが、
いつか、
それを見つけて
勝手に物語を見出すような証を
そっと
置いておくことです。



できれば
誰も彼も傷つけることなく。



過去から未来へと貫く直線は
思っているよりも
もう少し
やわらかいものなのではないかと
時折考える。


もう少し
過去や未来を
「今」から切り離せないものか。


見つけた一瞬の景色を切り取って
勝手な物語にのせて
希望のひかりにして
生きてゆくことも
正義の一部に、できないものか。




人が集まり、
社会の中で複数の人間が生きていくには
何か形にしていかなければなりません。


決めなければなりません。


意思決定が必要です。



それらのことを、
生きていくためのひかりとは別の場所で
考えることはできないのでしょうか。


別の場所。


同じ人間が関わっているのだけれど
それでも、「同じ場所」ではない別の場所。


もしかしたら、
重なったり触れ合ったりしているのかもしれない、
別の場所。



そんな場所を見つけたい。



過去を見つめることで、
それは見つかりますか。



何かを形にするのは息が詰まりますが、
道路がなくては、
好きな人に会いにいくことができません。

何か意見を表明するのは息が止まりますが、
私の故郷が崩れゆくことは、
心が張り裂けるほど苦しいです。



だから、
息を継いでいたいのです。



ぼーっと立っていた街に、
知り合いに似た誰かを見る瞬間のように
時折、
焦点を合わせて
息をしたいのです。



その一瞬の景色を、
切り取れる私でありたい。





そう、願っています。


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