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「長屋×アート」の再構築。||すみだ向島EXPOにて。

東京都墨田区。
スカイツリーよりも、もう少しだけ奥。
電車で1駅。歩いて30分。

向島地域、京島・八広・文花エリア。

ここに、とても「不思議な」まちがある。

面白い、では軽率すぎるような。
あたたかい、では生ぬるいような。
楽しい、では明るすぎるような。
変な、では暗いような。

なんとも表現しがたいまち。

そんなまちで、10月の1ヶ月間に開催されていた企画
「すみだ向島EXPO」というものに触れる機会をいただいた。

すみだ向島EXPOとは何か?
関わっている人たちはどんな思いを持っているのか?

そういったことを書く文章にもできるかもしれないけれど、
なんだか、それは私の役割じゃないような気が(勝手に)していて。

素直に。
私がこの空間にいられたということ、
そこから私が何かを感じたということ、
その事実を、
自分の言葉で綴っていけたらと思う。

すみだ向島EXPOとは何か?
のようなことが、少しずつ分かるような
個人的に、オススメしたい記事などをまとめてみます。

00. そもそも、のお話。

はじめまして、の方もいるかもしれません。
改めて、早川芽生といいます。
東京大学の3年生で、今は休学中。

もともと、「まちづくり」とか「地域活性」みたいなこと(書きたいことはいっぱいあるけれど、先に進まないのでこの言葉でまとめておくことにします)に興味があって、
大学2年生の時には
長野県の塩尻市というところで学んだり遊んだりしていました。

そして、その体験を本にする!
といって、つくったのが『いっぽ。』という本。
塩尻市での体験を主にして、「まちづくり」について、自分の人生について
あれこれ考えたことをまとめた本です。

前置きが長くなりましたが、
その本を出版するためのクラウドファンディングを行なっている時に
初めて訪れたのが、ここ向島地域でした。

知人の

おもしろいことが起こりまくってて熱い!とにかく行ってみてほしい!

というよく分かるんだか分からないんだか
な言葉を頼りにやってきたのが、このまち。
学校がお休みの日に一日使って訪れたのが、ちょうど1年前くらいのことではないでしょうか。

シンプルに言います。
ものすごく、面白くて刺激的な1日だった。

初めて訪れた珈琲屋さんで、向島に来た経緯を話したところ、
EXPOの主要拠点ともいえる場所・「京島駅」や
EXPOの代表でもある後藤大輝さんのことを紹介していただいて。

「大輝さんやったらあそこにいると思うでー」
なんて教えてもらいながら、
向島のあれこれを、さまざまな人に案内していただいた1日でした。

イベントも何もない、ただの土曜日。

だけど、なんだか少し不思議な空気感が流れているまち。
だけど、なにかが生まれているエネルギーを感じるまち。
人と人が、絶妙な "まあい" でつながっているまち。

そこで過ごした時間は、とても強く印象に残りました。

01. 久々の向島。初めてのEXPO。

あれから、1年弱。
大学3年生になった私は、

初めて飛び込んだ地である塩尻以外にも、
もっとたくさんの地域や人に会いに行きたい!

と言って大学を休学して、
東京に借りていたアパートも引き払って、
スーツケースとリュックだけを持ち
全国をめぐる旅に出ました。

じぶんのやりたいことや方向性が見えたり見えなかったり。
その中で、
「これかもしれない」
と思えるプロジェクトに出会い、その活動に力を注いでいたある日。

EXPOの代表・後藤大輝さんから久々に連絡をいただきました。

久しぶりに芽生ちゃんの活動を見ました。
来月、10月の1ヶ月行うすみだ向島EXPO2022の内容と
シンクロしそうです。
何か連携できたらと思いました。

EXPO会期に入ると、
いつも以上にもてなしができる環境が開かれています。
 是非、関係者招待もできるので、これる日程もらい企画連携の話しができたら嬉しいです。

大輝さんからいただいたメッセージより一部抜粋

思わず飛び上がっていた私。
こうして連絡をくださったこと、
私の投稿を見てくださったこと、
そして、あの不思議なまち・向島に再び行けること、
EXPOの空気を感じられること!

ワクワクしながら向島にやってきたのが
先月、10月末のこと。
EXPOも終わりを意識しだすような、クライマックスの時期でした。

02. まあい いま まわる

2022年すみだ向島EXPOのテーマは
「まあい いま まわる」

コロナ禍により、私たちはこれまで以上に人と人との距離について考えさせられてきました。
一方で、本来の人付き合いというものは、社会に決められた一定の距離ではなく、その時々によって変化する多様なものであるからこそ、豊かであるはずです。
「まあい いま まわる」
という今年のテーマは、今この時代だからこそ再認識したいそんな社会背景と、この街の人々の営みに息づく高度なご近所付き合いの距離感とを表すことばです。
すみだ向島EXPO 2022に足を運んでくださった来場者の皆さまには、会場のさまざまな仕掛けや作品展示、イベントや街の商店での体験を通して、まるでこの街の暮らしを疑似体験しているような多様な距離感(=まあい)を感じてほしいと思っています。

すみだ向島EXPO2022 公式HPより

新旧が混ざり合ったような多様な空間、
アーティストやクリエイターさんによるユニークな作品展示、
そして、この地域に魅せられている人、
そんなものが、境界の曖昧な「まち」という場に点在している。

実際にその展示を眺めたり、
展示会場にいるアーティストさんとお話をしたり、
EXPOに関わる人たちのトークセッションを聞きに行ったり。

ときにイベントが開催されて、時間と場所の約束を片手に人々が集う。
ときに解放されている場に、たまたま居合わせた人々が言葉を交わす。
ときにまちの片隅に一人になり、このまちの空気を吸う。

そういった時間が
絶え間なく質感を変えて流れていく空間は
私にとって、とても心地の良いものでした。

03. 関係性を再構築する、ということ

その心地よさは、どこからきていたんだろう。

向島での滞在を経て、
改めてふりかえってみる、あの空間の不思議。

「ああ、この時間を大切にしたい」と
素直に思えた背景。

そこには、「立場」や「関係性」といったものが変化する中で、
それらを超えられる土壌があったのではないかと
思っています。

そして、そこで変化しゆく立場や関係性こそが
このEXPOで表現されている「まあい」であり、
それを超えていけるための土壌が、すみだ向島EXPOなのかもしれないと
感じている自分がいて。

例えば、「アーティスト」という言葉。
私はこれまで、「アーティスト」と聞くと
なんとなく自分との違いを感じたり
違う世界に生きる人だと感じたり
立場の違いのようなものを感じたりしてきました。

そこには確かな違いがあり、
どこかに境界線が引かれ、
アート作品を「創る者」とそれを「鑑賞する者」としての立場の違いがあった。

しかし、それがこのEXPOではなんだか違うように感じられたのです。
もちろん、「創る者」と「鑑賞する者」の立場でいるときもある。
しかし、それをスルッと超えて、
同じ時間・空間を共にするものとしての対等性があるような、
一個人としての関係性を築ける瞬間がたくさんありました。

テンギョウさんプレゼンツのトークセッション終了後の一枚。

夕方6時になると、路地の小さな建物の2階の窓からヴァイオリンで時報を鳴らしている人が、
今、目の前で、EXPOや向島という地域について対話している。

さっきまで、「登壇者」としてお話ししていた人が、
気づいたら隣でチーズナンを食べている。

昼間には、まちのなかに建物を創っている人と、
道端でたまたますれ違って挨拶する。
「今日はあったかいですね」
なんて言葉を交わす。

きっかけは、EXPOという企画展で
最初の関係性は「創る者」と「鑑賞する者」だったかもしれないけれど、
無意識のうちにその関係性を超えて、
人と人として同じ時間を過ごすことができる。

そこで交わされる言葉には、
ものすごく大きな価値があると思います。

ただ、だからと言って
「創る者」と「鑑賞する者」の立場が壊れるわけではありません。

立場や関係性を超えて、人と人として言葉を交わした次の瞬間、
そこにアートが存在し、「創る者」と「鑑賞する者」の関係性に変化することもありました。

夕方6時になると、商店街の2階の窓から時報が流れてくる。

昨日、目の前で対話していた人が、
夕方6時に、2階の窓からヴァイオリンで時報を鳴らしている。

さっき、隣でチーズナンを食べていた人が、
また「登壇者」として自身の活動について語っている。

この間すれ違って挨拶をした人の作品が
完成したというので見に行ってみる。

「創る者」と「鑑賞する者」の関係性に再び戻って行った時、
そこに感じられるのは、初めてみた時の感覚とは全く異なっていて、
新しい気づきに溢れていて、
なんだか少し誇らしいような、嬉しいような
そんな気持ちになるのです。

屋上からのスカイツリー。

しばらく会っていない、小学校の同級生が、
プログラミングの世界で活躍していてテレビの取材を受けていたとか。

大学の同級生に、
ちょっと有名なYouTuberがいるんだとか。

先日たまたま隣で飲んでいた人は、
実はみんなが知ってるあの商品をつくっているとか。

そういう人たちが、自分より少し遠くに行ってしまうような感覚がありつつも、
久々に会ったときには、いつもみたいに話をしてくれる。
有名だからとか、人気だからとか、活躍してるからとか、
そういったことを感じない関係性へと
瞬間的に変化するタイミングがあるような。

たしかに人と人には「立場」があり「関係性」があるかもしれません。
だけれど、それらは、私たちが思っている以上に曖昧で、
たぶん、簡単に変化しうるものなんだと思います。

ただその変化を感じることが難しくなってきていることも
確かだとも思います。

人々は「肩書き」を通して出会うようになり、
「立場上」関われないことや話せないことがあり、
利害関係の上に成り立つ「関係性」がある。

そして、そういった社会に対して
少しずつ、人々が違和感を覚え始めているとも思います。

すみだ向島EXPOは、変化しうる関係性を偶発的に再現して、
さまざまな面白さや気づき、楽しさを教えてくれる
人と人との "まあい" を生み出す場なのではないかと
感じています。

それは、人と人との関係性においてだけではなく、
人ともの、ものとものとの関係性においても同じなのかもしれません。

裏路地に突如現れる建物。すごく気になる。

このまちに特徴的な「長屋」という建物。
ビルやマンションが立ち並ぶイメージの強い東京で、
こんなに風情ある建物が残っているのかと思うような、
そんな長屋がたくさんあります。

同時に、防災の観点からも、
そのままの状態で残していくことに厳しさがあるのも事実。
「東京一危険」と呼ばれるほどだそう。

災害リスクが高く、解決しなければならない課題があるとともに、
歴史ある木造住宅や長屋とどう向き合っていくか?
そんなまちの長屋とアートが組み合わさったとき、
何が起こり何が生まれるのか?

とても安易な表現になってしまいましたが、
そういった「まちづくり」が実現されている場所として
向島が紹介されることも多いです。

そして、そういう側面ももちろん事実としてあり、
私の向島地域に対する個人的な関心も、そこから始まったと言っても過言ではありません。

しかし、EXPOというものを通して変化した結果、
向島地域やそこにある長屋建築たちに対して
また違った感情を抱いています。

「東京」らしくない風情ある地域。
歴史ある建物。
取り壊しにあうかもしれない建物。
活用が試みられている長屋。

傾いた一軒家には、たくさんの記憶が刻まれている。

こういった事実があるとともに、
向島は
仲良くなったあの友だちが住んでいるまちで、
夕方の6時にヴァイオリンを聴きに行ったまちで、
珈琲を淹れてもらいながら、旅の話を聞いたまちであり、

そこには
あの人といっしょにご飯を食べた建物があり、
面白い作品が展示されていた長屋があり、
お抹茶をいただきながら、向島地域の話を聞いた建物がある。

そうした、とっても具体的で主観的な記憶や思い出ができたまちです。

歴史あるまちだから守られてほしいという感情もあるけれど、
どちらかというと
私が向島で過ごしたあの時間、
じぶんにとって大切だと思えているあの時間を
これからも信じつづけたいから
大切にされつづけてほしい。

そして、今後どう関わっていくかはわからないけれど、
じぶんのできる形で大切にしていきたいし、
大切に想っていきたい。

なんとも言えない風情ある商店街。

「まちづくり」に興味があった私と
「まちづくり」の話によく取り上げる建物
という関係性を超えて、

ただただ、私・早川芽生という人間と
そこにたっている建物との関係性があり、

改めて、その建物が持っている歴史や今の課題を知ることで
再び私はその建物を見ることになる。

そこで抱く感情は、私がEXPOを通してこの地域に滞在する前に抱いていたものとは確かに異なっています。

もっとあたたかくて、
もっと身近で、
もっと繊細で
言葉にしたら壊れてしまいそうなもの。

そんな微妙な "まあい" に目を向けるきっかけになった
すみだ向島EXPOの時間。
「長屋×アート」のイベントと表現されることが多いこの博覧会は、
まさに、長屋やアートとの関係性を、"まあい" を、
関わる人の中で再構築していくものなのかもしれないと感じています。

さまざまな "まあい" の変化を通して
自分と他のものとの関係性が再構築されていく中で、
私自身がだいじににしたいことが
漠然と、でも確実に少しずつ具体的に
捉えられそうな感覚があった滞在でした。


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