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わたしが此処へ「帰ってくる」理由。||21歳を迎えて。

01. じぶんを探す旅。

2022年3月。

2年間住んだ東京を離れ、
さまざまな地域に飛び込みながら
その地域のリアルと自分自身とむきあう旅をはじめました。

そのちょうど一年前に初めて訪れた
長野県塩尻市。

そこをきっかけに、
「まちづくり」というものと、「地域」というものと、
そして、わたし自身というものと向き合い、
じぶんの今後について考える日々がはじまって。

塩尻を中心に、
たくさんの方々との関係を築いて、
塩尻が大好きになって、
大切な経験をたくさんして。

この体験を形に残したいという思いが高まって、
自分の本をつくりました。

そんな私は、
春から塩尻を飛び出して
日本各地のさまざまな地域に飛び込んでいこうとしています。

4月からは大学を休学し、
いくつかの地域に滞在しながら
その地域のことを学んだり
じぶんの今後の生き方について考えたり

濃すぎるくらいに充実した日々を過ごしています。

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02. そうしてまた、此処へ帰ってきた。

5月。

この月を、長野県を巡る月に位置づけました。

今までお世話になってきた方のもとへ、再び訪れる月。
お互い知っていたけれど会ったことのなかった人に会いに行く月。

後半は、すっかりおなじみになってきた
塩尻市に滞在をしていました。

そんな1ヶ月にすると決めて、
実際、それを実現させられた月。

けれどそれ以上に、
得られた「何か」がありました。

どうして長野へ行くのか?
行ったことのない場所が、まだまだたくさんあるじゃないか。

実は、
この問いに、明確な答えを見つけられないまま

「帰ってきてしまった」

感覚がありました。

さいしょは、
そんなじぶんの気持ちを整理することができませんでした。

でも、
大好きなご家族のもとを再び訪れたり、
わたしの原点ともいえる塩尻に帰ってきてみんなと話したりする日々の中、
ふと、気づいたことがあったのです。

此処へくると、
じぶんの人生のフェーズが確実に一つ、すすむ。

きっと、もう一つ先へ、進みたかったんだ。
きっと、もう一つ先へ、進まなければならない時期だったんだ。
そして、もう一つ先へ、進むことができるタイミングだったんだ。

だからわたしは、此処へ帰ってくる。

長野へ、そして特に塩尻へ、
帰ってくる理由はたくさんあります。

毎日、たくさんの「こと」が起きている場所。
素敵な人たちが、また新たなことを始めている場所。
大切なパートナーがいる場所。
家族のような存在の人たちが住むシェアハウスがある場所。

そんな具体的な理由をぜんぶひっくるめて、
わたしを前へ進めてくれるのがこの場所。

そう、思ったのです。


03. わたしは、もっとできる。

何が、わたしを前へ押し出してくれるのか。
それは、

もっとできる。

そんな感覚なのではないかと思います。

此処へ帰ってきて、なんど思ったことか。

もっとできる。
もっと人をたくさん巻きこんで、
もっと感じて、
もっと考えて、
もっと面白いことができるはずだ。

そんな思いが、常に胸の奥に溢れていました。

そう思うきっかけがたくさん転がっているのです。

塩尻では、
「まちづくり」という言葉を使う場面があまりありません。

此処へすむ一人ひとりが、自分自身と向き合いながら、
じぶんのしたいことに本気で取り組みながら、
人のためになること、
地域のためになることを
根底で考えているから。

その渦中にいるわたしは、
果たして何がしたいのか。
そしてこのまちのなかで、どのような役割を果たすのか。

そのアウトプットを期待されている感覚があります。

別に、
ぜったいに何かを形にしなさい!
と言われたことは一度もありません。

ただ、感じるのです。

めいちゃんは、もっとできるぞ

と、心のどこかで思っている人がたくさんいることを。

それはとても嬉しいことで
とても励みになることで
同時に、
とても悔しいこと。

このまちで関わってきた数々の人たちと、
このまちで起きている数々のできごとたち。
その中に、またもう一つ別の風を吹かしたいと
痛切に思うのです。

04. なぜ、こんなにもわたしに時間を使ってくれるのか。

わたしの周りには、
尊敬できる人が、大好きな人が、素敵な人が、たくさんいます。

そんな人たちが、
わたしにこんなにもたくさん時間を使って、
本気で「わたし」と向き合ってくれる。
本気で一緒になって考えてくれる。
本気でたくさんのことを教えてくれる。

どうしてだろう。

純粋にそう思ったとき、
その問いをそのまま口に出してみました。

そのとき帰ってきたのは、

それは、才能だよ

という言葉。

意外すぎて、
びっくりして、
嬉しくて、
でもどこか自分に対して悔しくて、

どうしていいかわからない感情が
涙になって溢れてきました。

自分自身と、
じぶんが関わるまちのことと、
じぶんが生きているこの社会のことを、
全力で考えて行動している若者には、
応援したくなる何かがある。

だから、めいちゃんと本気で向き合うんだ。

そして同時に、
応援するけど、ぜったいに負けないぞ。
ぜったいに追いつかれないぞ。

直球で伝えてくれたその言葉の、
なんと重いことか。
なんと暖かいことか。

そしてそのとき確実に、
わたしの人生は一つ前へ進んだのです。

05. 21歳を迎えて

そうしてわたしは、
2022年5月23日、21歳になりました。

これからしたいことが、
すべきことが
抽象的なところで
すごく明確になって迎えた誕生日。

でも、
まだ具体的に消化しきれていないまま迎えた誕生日。

長野に来るといつもそうだ。

行きたいところが多すぎて
会いたい人が多すぎて
やりたいことが多すぎて
毎日が一瞬で過ぎていく。

でも、きっとじぶんはそれを求めて
此処へ帰ってきたのだと思うし、
だからこそ、
次はじぶんとじっくり向き合って、
次の方向を定める時間が必要だと思っています。

そして、
これからの人生、きっと迷いつづけるだろう。
そんな思いも持ち始めるようになりました。

でも、迷いつづけるということに
不思議と不
安はありません。

というかむしろ、
そのほうが楽しいんじゃないかな、なんて思うじぶんがいます。

コロナ禍とともに大学生になって、
社会がいつどこでどう変わるかなんて、誰もわかりやしないんだと
痛感した2年間。

社会も変わり、
周りの環境も変わり、
そしてじぶん自身も刻一刻と変わっていく。

そんな中で、
迷いつづけること、次の一歩を探しつづけること。

これが一つの目標になるようにもなりました。

そんな21歳。

大学生の早川芽生としてではなく、
ただの「早川芽生」として生きる。

めいちゃんだからできることがある。
めいちゃんに頼みたい仕事がある。
めいちゃんだからつくり出せる価値がある。

そんなふうに
人に思ってもらえる瞬間をつくる。

「休学」
という選択は、そのためにとったのかもしれません。

わたしは大学が嫌になったわけでもなく、
勉強がしたくなくなったわけでもなく、
むしろ
大学が、勉強が大好きです。
復学する気満々です。

そういう思いで休学する人は、
少ないかもしれません。

そんな「違い」にも気づいたこの1ヶ月。

休学についての相談を受けるようにもなった中で、
じぶんが休学した理由を改めて考えてみて、

きっとじぶんは、
大学生としての肩書きを持たない生き方に挑戦したかったんだと
思うようになりました。

肩書きを捨てて、
自分自身として生きる。

わたしが機会を見つけては帰ってきてしまう、
塩尻市贄川の宿場町にあるシェアハウス、
宿場noie坂勘の店主・たつみさんの言葉です。

この言葉を、この1年と2ヶ月の間でたくさん聞きました。
その意味も、たくさん耳にしてきました。

でも、この言葉の意味を、
ここ最近でようやく
本当の意味で「わかってきた」ように思います。

自分自身として生きるとは、
こういうことか。

21歳になったわたし。
ようやく、
「自分自身として生きる」方法を
模索する時期を迎えたようです。

さあ、
これからどう生きていこうか。

とても、とても

楽しみだ。


めい🌱


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