それは、からからから……という、朝方、雨戸が開け放たれた時の音、だろうか 評者:中川武

2017年夏に刊行した書籍『国宝・閑谷学校|Timeless Landscapes 1』について、建築史家・中川武氏による書評(約4,200字)を公開します。何かのメディアから依頼があったものではなく、半ば自発的に書かれたものです。本の評に留まらず、建築史家ならではの閑谷学校論にもなっています。

美しい本との出会い

建築が今でも希望であり続けていることを、静かに、過不足なく、しかし、余すところなく、確固として伝えてくれる美しい本に出会った。『国宝・閑谷学校|Timeless Landscapes 1』(写真:小川重雄、解説:西本真一、編集・発行:富井雄太郎、2017年7月刊)である。

閑谷学校は不思議な建築である。不思議と言っても、ヘンな形をしているとか、見るからに謎が多い、とかいうことではない。閑谷学校の中心である講堂は、かなり大きなボリュームを入母屋造の屋根で包んだものだが、日本古建築特有の、スッキリした重厚感といったような様式的安定と一筋縄では納まらない何ものかとの動的な均衡が感じられる。その理由をひとつひとつ挙げていくことは可能だが、いくら言挙げしても、その本当のところはなかなか難しい。そういうふうに見做され、それが、謎であり、魅力でもある建築だと思う。

備前焼そのものが焼むらに特徴があるが、講堂の大きな屋根一面に、赤、黄、灰色の斑紋様が大胆に広がる様は、おおらかな豊かさ、深みのあるやわらかさやあたたかさなどの、古代吉備の国から続いてきたかのような印象を建物にもたらしている。古代に大陸から伝来した仏教寺院は、瓦舎とか大甍とか言われたように、高温で焼いた須恵器の自給的技術によって産出することができた雨に強い瓦葺きの屋根が大きな特徴であった。その時必要とされた大量の瓦は、1カ所ではとても間に合わず、それこそ村々から集められたものであった。当然、寸法も、色合いもバラバラで、ムラのあるものだったのである。このような非均質的な技術や部材を統合する力量が、古代的アーキテクトの腕の見せどころだったのだが、現存する古代寺院で古代的質の瓦屋根を保存しているのは、奈良の元興寺極楽坊禅堂(鎌倉前期)が数少ない実例で、幸い備前焼本瓦を使った閑谷講堂が、均質ではない、ムラのある瓦により実現される古代的な味わいが実感されるものとなっている。このことは錣葺きという屋根形式とも関連している。錣葺きの発生は、切妻造の身舎(中心部)の周囲に庇が増築された時にできる段差を残したもので、比翼入母屋造という古風な屋根形式を残存させる岡山市の吉備津神社(応永32、1425年)の、独特な遺風とも通底するもののようにも見える。また閑谷講堂は、寺院本堂のように独立した中心建物のようにも、附属建物を併置して本来の目的が満たされるようにも見える。それにしても、これだけ大規模な建物で、四周を回り縁、雨戸で囲い、縁側柱も側柱も五間四面堂である建物も珍しいかもしれない。さらに、かなり起伏のある敷地を大蛇が大地を這うように走る石塀も日本ではあまり類例を見ない。アルカイックでいながら、日本風の山水に合うような気もしてくる。大振りな骨格のまとまりのなかの丹精さや卓抜な技術的工夫、構造技術、テクスチャ、そして建具形式などの様式性における時代性の新旧の配置など、これは果たして……、と思わず立ち止まってしまうところがある。全体から部分まで、随所に散りばめられた不思議さのなかに、ある種の空気感のようなものがある。要するに知る人ぞ知る名建築なのだが、それほどわかりやすいというものではない。このような対象(歴史的環境のなかの建築)に対して、静かに、過不足なく、しかし、余すところなく、確固として、その大切なものを伝えてくれた本だと、私は理解した。どこが希望で、なぜ美しい本になっているのか述べる。

静かに、余すところなく

小川重雄さんの写真は、静かな音が聞こえてくるようだ。この場所が閑谷と名付けられたほどの意味を蘇らせることを意図したかのような写真である。豊かな丘陵と谷あいを切り開いて設営された閑谷学校。大地をうねりながら走る石塀が、まさに環境と建物の競演を雄弁に物語っている。敷地の外からは、高く厚い石塀と背後の山々が学苑を護り、内側から見るとこの高く太い石塀が、むしろ場を南へのびやかに開き、敷地内の道行きを導くのに役立っている様子を活写する。5月の緑と11月の特に孔子に連なる楷の木の紅葉は、講堂の内外を光が結び、講堂の床、すなわち内部空間に世界を結像させる様子を、息詰まる瞬間として定着させている。花頭窓の連なりや備前焼瓦葺き屋根の陶製円管のディテールや石塀下の排水路など、ゆったりとした大判の写真のなかに、さりげなく閑谷学校の細部に宿る神が写されている。なかでも私が興味をひかれたのは、荒い石積壁に縁取られた「火除山」の様子である。これは延焼を防ぐのに役立つに違いないと思われるが、この土地は古代吉備の国につながっていること、ちょうど、朝鮮半島の新羅の都慶州の、円墳群のなかの現代都市を想わせたことである。多様な自然や生き続ける歴史の意味など、環境とその場の空間に引き寄せる世界像としての建築の関係をお互いに浸透させ合うことがランドスケープデザインだとすれば、そこに発見すべきものは、timelessなものだと思う。小川さんの写真には、何かを熱心に聴いている多勢の中学生たちが集う講堂内部の1枚以外は、周到に人が写されていない。この強い対比が静かな写真集の印象を際立たせている。環境と建築の関係における、沈黙の拮抗こそ、ランドスケープのtimelessな価値であることを静かに物語っているようだ。

過不足なく、確固として

閑谷講堂というこれだけの建築の解説を西本真一さんは、わずか8頁で、しかも、「時を超える知恵の木箱」という、割合あっさりとしたタイトルをつけて論じている。しかし、これは建築写真集であり、建築史的記述を含めてキャプションはきっちり書かれており、わずか8頁とは言え、大判で小さな文字のためもあって、大部の報告書を読んだかのような充実感がまずあった。日本建築史における学校建築の位置付けからはじまって、閑谷という土地柄とそこからこのランドスケープが生まれたことの意味、建築の鑑賞の仕方、とりわけ拭き漆の講堂の床面をはじめとして、力点をどこに置けば良いかなど、なるほど、なるほどイントロはスムーズである。ところが突然、〈学校と教育の始原〉では、古代エジプトやシュメールの例が引用されている。文明のほとんどの始原は古代エジプトにあり、日本人にとっても大きな関心の対象であるが、古代エジプト建築史の研究者は意外と数少ない。西本さんはその稀有な信頼に足る専門家であるが、同時に、近代建築史や建築設計の視点から、アジアの積石工法の技術に関心を寄せている。ここでは、エジプトなどの知識をただひけらかせているわけではなく、教育というものの変わらぬ重要さや困難さを、近世備前岡山藩の藩校であった閑谷学校で採用されていた中国伝来の儒教と古代エジプト教育の対比で興味深く論じられている。教育の場の佇まいや空気感や空間の作法にまで想像力が喚起される。西本さんならではの識見だと思われる。

〈講堂の建立とその後の変化〉、〈寸法計画と「ずれ」〉、〈石積みと治水、防水と防火の技術〉、〈雨戸に見る特異性〉と解説が続く。型通りの論述の面もあるが、なるほど、なるほどと読み進む一方、エッ! そんなことが、という驚きに出会うこともある。特に〈寸法計画と「ずれ」〉では、最大梁間2間の身舎を中心に、その周囲に庇を増拡していく平面、構造システムの中国建築を導入して、仏教、宮殿建築をつくり、日本の古代建築の主流が始まったこと、そしてその歴史を閑谷講堂の中央部に、梁間2間、桁行3間の、計10本の円柱からなる身舎を包含しているところに認めた記述が展開されている。しかし、講堂の3間×2間の身舎は、桁行と梁行では微妙に1間の寸法が異なり、しかも庇の柱は、古代的システムでは、桁行5間、梁行4間となるところを、5間4面(5間×5間)とし、その外側の回り縁の柱も5間4面としている。これは、古代的な身舎-庇の技法から、中世から近世に発展した、拮木の野小屋構造と枕梁の構法が工夫されたため、柱芯を揃えずに平面計画ができるようになったことを示している。この間の事情には、増改築による設計技法の変化などが推測されるが、西本さんはあまり突っ込まずに、歴史的変化をたどるように、内から外に向かったのだ、とサラッと断定している。身舎の天井下り壁があるため、身舎部分の空間の淀みが発生しているが、身舎-庇とも床と天井は同一平面のフラットであり、部屋飾りなどの装飾が一切ないため、空間の序列性は中央から周辺への技術的な時間の偏差にしかないと西本さんは印象的に語っている。講堂には多くの人が集まり、散じるための四方向の出入口がある。そして、周辺の光(景色、あるいは色彩と影)を取り込むための窓はまた別であり、それは講堂を成立させるための防火と治水の技術とまったく同列で、明かり障子を開ければ、鮮烈な自然の力、閉じればやわらかなる光となって、床面に鏡を隠した講堂が「カメラ・オブスクラ:暗い部屋」となり、日暮れれば、雨戸がからからから……と閉じられ、何かを暗示するものとなる。すなわち、これが知恵の箱であると。この潔い断定のなかに、西本さんの真骨頂があるように思う。

建築は希望であるか

必要な写真、図面、キャプションはのびやかに、解説は思い切り視点を広げ想像力を飛翔させ、しかし、押さえるべきは押さえ、言いたいことはきっちり言う。そして大事なことは、この本の全体が極力コンパクトにつくられていることである。大判であるが、豊富な内容の割には薄い本だと思う。今どきの本らしく、字が少ないのだが、なんでもかんでも情報が満載というのではなく、色々想像を巡らすことができる点が私は気に入っている。写真家と解説者に人を得たことが大きかったと思うが、私はもうひとつ編集・発行が富井雄太郎さんであったことが重要な点だと思う。江戸時代は、封建制、身分制でがんじがらめになっていた。しかし一方で、だからこそ、場と職業倫理が高められ、すっきりとして美しい、佇まい、もの、建築、社会がつくられていた。現在の、たとえば何でもある小学校と閑谷学校を比べてみれば良い。富井さんは建築にとって本当に大切なものは何か、それに対してまっしぐらに、手を行き届かせるべきは行き届かせ、フットワーク軽く、建築世界に風を起こそうとしてきた人のひとりだと思う。だから美しい本が生まれた。ここに建築の希望があると思う。

2018年8月

『国宝・閑谷学校|Timeless Landscapes 1』
写真:小川重雄
解説:西本真一
デザイン:秋山伸
図面制作:駒崎継広 半田悠人
翻訳:ハート・ララビー
協力:公益財団法人 特別史跡旧閑谷学校顕彰保存会
ISBN:978-4-9905436-7-9
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http://www.millegraph.com/books/isbn978-4990543679/

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