2020.4.18 │ 雨のち晴れ│理由

配信に心が燃えない理由を、
自分なりに考えてみたので、備忘録として。

最近は個人でもイベントでもDJ配信が盛んですね。
以前も書きましたが、できることをやろう、という行動は素晴らしいものです。
手探りで新しいことをやろうというやる気は誰にでも持てるものではないので。
先に書いておくと、そういった活動を否定したいわけじゃないです。
私個人が、どうしてアニクラに燃えていたのと同じように心が動かないのか、ということ。

ちょっと考えてみてすぐ答えはでました。
私が楽しんでいるアニクラというものは、

DJさんがいて、お客さんがいて、
箱があって、VJの映像が箱の空間を支配している

そんな『空間』がまるごと好きなのであって、
DJも、お客さんも、箱も、VJも、
どれかが欠けたら違うものになってしまうということ。

DJが画面越しに配信しているだけじゃだめなんです。
そこにVJが加わったとしても、空間の支配というには足りない。
お客さんがいるとしても、画面越しで姿は見えない。
体で音や動きを感じられる箱がない。
DJVJ配信は、私が好きで通っているアニクラとはまた別の何かなんだな、と個人的には思います。

それを受け入れて好きになる事と、アニクラがなくてさみしい気持ちを埋めることは全く別なんだよなぁ。

私はアニソンDJのプレイじゃなくて、
プレイを含めた空間を感じにアニクラに行ってたんだな、と、初めて気がつきました。

配信には配信の良さがあるのと同じで、
箱でするイベントにしかない良さがたくさんある。
それを同じ土俵で見るというのは難しいし、
配信もアニクラと同じように感じてる人との温度差はやっぱりあるなぁと思います。
昔から、推し歌い手やコンテンツであったとしても、生放送という媒体にあまり魅力を感じない性格なので尚更かもしれません。
『見逃したらおわり』という、ある種の心理的な束縛感が嫌なのかも。

なんにせよ、こんなご時世にならなければ気が付かなかった感覚なので、備忘録として書き留めておきたいなと思って文章にしてみました。
同じように感じてる人、きっといるんじゃないかなぁ、という気持ちも込めて。

受け入れられない事は悪いことじゃないし、皆と同じように感じられないことに罪悪感を持たなくても良い。
わたしはそう思います。

おわり。

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