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「あたしおかあさんだから」に感じる違和感の正体

ツイッターのタイムラインでやたらと流れてくるあたしおかあさんだからの批評。
のぶみ氏は「ママのおつかれさまの応援歌」とコメントしていたのもあり、なぜ応援歌がこんなに批判されるのか、気になって歌詞を読んでみた。

読んだ後の違和感、むずむずするような感覚。


「えっ!全く応援されない。」


というのが率直な感想。

いろんな意見を読んだが、この歌詞に関して1つも当てはまらないと堂々と言える人は、梅宮アンナさんくらいではないか?


「私は何一つ当てはまってないんですよ。全く変えなかったから、子どもが生まれても全然変えなかったから、ヒールもバンバン履いてたし」

とテレビ番組で語っていた。
清くて羨ましいとすら思った。

私の違和感とむずむずの正体について。
おそらく、母親であれば、この歌詞の内容に当てはまる体験があるはずで、
それは無意識だったり、蓋をしている感情だったりする。

それをものすごく暴力的にこじ開けられて、
「ほんとうはこうしたいんだよね?」
「でも今はこういう現状だよね?」
(かわいそうだね、頑張っているね)
「でも、全てお母さんになれたんだからよかったじゃない!」
乱暴に平易なことばに訳すとこう聞こえてしまう。

これ、ほんとうに、応援歌ですか??

私は、同情歌に聞こえてしまう。

同情からは何もうまれないんじゃないか?というむずむず感。
子供のためにあるべき子供番組を使って母親への同情の歌を流すって本来の目的からずれはいないか?という違和感。

母親って、こんな方法でしか救われないのだろうか??

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