AbemaTVハラスメント問題、「区切り」がつきました。

ここ1年間、ずっと重石のように私の心にのしかかっていた問題にひとつの区切りがついたので、ひさしぶりにnoteを開きました。

AbemaTV「極楽とんぼKAKERUTV」で私が受けたハラスメント
AbemaTVハラスメント問題、その後

※本ブログにはこれまで投稿した上記2記事と重複した内容があると思います。本来ならその2記事を読み直して重複を避けるべきですが、それによって私自身がフラッシュバックを起こしてしまう可能性のあるためできませんでした。ご了承ください。

上記のブログに書かれている案件について、2018年からAbemaTV側に謝罪と賠償金を請求していました。そしてたび重なる協議の結果、先月末にようやく合意の締結に至りました。

私が当該番組に出演してから、約1年が経ちます。生放送中から「私はいまパワハラに遭っている」というはっきりとした認識があったので、その週のうちに弁護士さんを紹介してもらい、相談をしていました。

請求をしたのは同年秋になってからですが、ここに至るまで、私にとっては長い長い長い1年でした。

ひとつの区切りがついた、と書きました。
この問題が“解決”したわけではないからです。
私のなかで“解決”することは、今後もないと思っています。

ハラスメント被害を受けたことによるダメージから、私は少しずつですが確実に回復してきました。精神科に通い、薬を飲み、家族や親しい人たち、私の活動に理解をしてくれる人たちと交流し、ハラスメントについて勉強して、知識を得る……そんなプロセスを経ての、回復です。

私は周囲の人たちに恵まれているなぁとつくづく感じました。
桃子という名前での活動は、ジャンルでいうと“アダルト”です。アダルトというといろんな色眼鏡で見られますが、実はジェンダーやフェミニズムについて勉強している人、そうした意識をしっかり身につけている人が多いんですよ。
以前からそう感じていましたが、今回のことであらためて強く実感しました。

いまの私はほとんどの時間、健やかに過ごしています。
暗闇のど真ん中いにたときは、もしかしたら今後の人生ずっとこのままかもと思ったりもしました。
外の世界はこわいから、いっそこのままでいいと思っていたときもありまいた。
だいぶ回復した現在は、日々仕事をし、桃子としての活動も楽しみ、公私ともに充実しています。

それでも、「被害を受けなかった私」に戻ることはありません。
これが、私のなかで“解決はない”と考えている理由です。

解決はないけど、区切りは必要でした。
相手方に「自分たちのしたことは、謝罪や賠償をして然るべき行為だったのだ」と認めさせることが、私にとっての区切りになると考え、行動しました。

というのも、そうじゃないと「私は被害者である」という認識が揺らぐときがあるのです。

2018年9月、BuzzFeedで昨今のネットTVに見られる、主に放送倫理上の問題点についての記事が配信されました。そのなかで私のハラスメント問題も大きく採り上げていただきました。番組録画を見た専門家の方がはっきりと、女性蔑視に根ざしたハラスメントであるといってくれました。

その記事を受けて、私自身の文章で何があったかを伝えたいと思い、このnoteにしたためました。

たくさんの人に読んでもらえました。
憤りの声あり、応援の声もあり。
自分が思っていた以上に多くの人がこの問題を考えてくださり、本当に胸が熱くなりました。

一方で、自己責任を問う声も多数届きました。それも予想の範疇でしたが、やっぱりしんどかったです。

誰であれハラスメントを受けていい人なんてない。

私は自分自身についてもそう思っています。生放送が終わった直後から思っていました。にもかかわらず、ともすれば「私が番組に出ようなんて思わなければ」「私に甘いところがあったのでは」という自己責任に引っ張られ、ダークサイドに堕ちてしまいます。

現場で受けた罵倒についても、「実は、周りのみんなもそう思ってるのでは」と疑心暗鬼になるときがありました。いまでも、あります。

「いやいやいや、ハラスメントはする側が100%悪いよ! 被害者に原因を求めるのは、加害者にとって都合のいい考えでしかないよ!」

といい聞かせ、なんとか持ち直す。でもまた、ふとしたときに自分を責めてしまう。両極の考えのあいだで行ったり来たりする1年でした。きっとこれからも、くり返されると思います。

そうなってしまう理由のひとつに、類似のニュースがしょっちゅう流れてくるという現状があります。

ある評論家の男性は出演したイベントでタレントからハラスメントを受け、途中で退席しました。「私もそうすればよかったんだ!」と思ったのですが、出演中には足がすくんで動けなかったんですよ。その勇気ある行為についてもっと知りたくて、その方のTwitterを見たら、彼の自己責任を問うリプライが鬼のように届いていました。

自分に向けられたものではないのに私がそこで落ちてしまうのはおかしなことですが、問題の構造が似ているだけに、自分に投げつけられた言葉のように感じました。

最近では、社会的アクションを起こした女性に対して「彼女の職場を突き止めよう!」という動きがSNS上でありました。彼女がアクションを起こしたのは、職場で女性だけに課されたあるルールへの疑問がきっかけだったのですが、そのエピソード自体が虚偽なのではないか、彼女のいっていることが信じられないから俺たちが暴いてみせよう、と鼻息荒くしている人たちの言葉を目にし、私はただただ固まっていました。

私は出演した番組で、「俺たちを信じさせたいなら、カメラの前で仮面を取って顔をさらせ」と罵倒されました。それと構造的に共通するものがあると感じました。プライバシーを危機に晒さないとお前の話は一切信じない! という人たちの暴力性って一体なんなんだろうと思いました。

そんなことが、しょっちゅうあります。

いま私は、ほとんどテレビを観ることがありません。当該の人物を視界に入れたくないからです。そうでなくともテレビには、ハラスメントや暴力の構図があふれています。自分の被害に直結するもの、間接的に思い出させるものに出くわすと、動悸がして目の前が暗くなります。

いつどこで出くわすかわからないから、テレビはつけない。

よく「イヤなら見なければいい」っていう人いますよね。そういうことは、とっくにやっているのです。でも、完全に視界に入れないというのは存外むずかしいものです。

たとえば実家に帰れば両親がテレビを見ています。両親は私の被害を知りません。それ以前に、桃子としての活動を知りません。説明すると両親(特に病気の父)を驚かせてしまうだけなので、これからも打ち明けることはないです(親にいえない恥ずかしい活動、と思っているわけではないですよ)。「テレビ消してよ!」と叫んでしまう前に、家族の団らんから黙って距離を置くことになります。

そんなふうに避けがたいシーンは、意外とたくさんあります。

第一、ネットでも雑誌でも、町を歩いているだけでも、唐突に出くわしちゃうのです。こちらがどれだけ用心していても、急に視界に飛び込んでくるのです。それが、売れっ子タレントという存在です。

だから常に、どこか警戒しているところがあります。
そういう意味でも、「被害を受けなかった私」に戻ることはないといえます。

裁判を起こそうと考えたこともあります。「全面的に応援するよ!」といってくれる人が何人もいて、そのたびに心強く感じていました。私はひとりじゃないし、この問題は広く社会に提起するべきものだと思えました。

でも、正直乗り気ではありませんでした。やるとなると、何度も被害のことを話さなければいけなくなります。それ耐えられるかな〜、やりたくないな〜と思っていました。

経済的、時間的負担も考えました。私は昨年、被害の影響で1カ月以上仕事がまるでできなくなり、仕事や人間関係の一部を失いました。だからこれ以上、時間やお金を費やすとなると相当な大打撃となるのです。

と思いながらも、“戦い”を避けようとしている自分をヘタレだと感じ、自己嫌悪に陥ったりもしました。

やっぱり法廷まで持っていくべきだろうか。自分にそれができるんだろうか……。

それでも一度は「裁判をしよう!」と心を決めたのです。
だってそうじゃないと、私の被害は認められない。
なんで被害者がこんな負担を感じながら行動しないといけないんだろうとは思うけど、ここまで来たら仕方ない、と。

だけどそこから2カ月ほどは具体的な行動に出れずにいたのです。

そんなとき、ようやく、先方からまずまず納得のいく合意案が出てきたのです。

私もここで区切りをつけようと決めました。
これで裁判をしなくて済んだ……大いにほっとしました。

ここまで来れたのは、弁護士さんの力が大きかったと思います。

人権の侵害というハラスメントの本質、日常が変わってしまったという被害の実態を理解していただき、私が「こんな案、飲みたくない。このへんで妥協したほうが賢いのはわかっている。でもやっぱり飲めない……」と思ったときも、尊重してくれました。

そして、合意の締結に至りました。

ひと区切りついたらそれなりにすっきりするかと思っていたのですが、何もすっきりしません。

私がすっきりするとしたら、相手方だけでなく、またネットテレビに限ることもなく、すべてのテレビやメディアからハラスメント、差別、暴力がなくなるときだと思います。

私のなかでこの問題はオシマイにはなっていません。だから、これからも考えつづけます。それは問題にとらわれてしまっているということではなく、理解し、解決の道を自分なりに考えていかないと、類似のハラスメントに関するニュースを見聞きするたびに頭がおかしくなりそうになるからです。

ただし、自身の被害について公言&発信するのは、これが最後です。

今後は個人の問題としてでなく社会の問題として、俯瞰の視点から考えていきたいです。

こんな長文にもかかわらず、最後まで読んでいただきありがとうございます。

そして最後になりましたが、この問題に対して一緒に怒り、悲しみ、また私のことを心配して寄り添ってくれたり助言をくれたり励ましてくれたり楽しいところに連れ出してくれたり言葉にはしないけどすごく気にかけてくれたり語る場を与えてくれたりした、すべての人に感謝を。

これからもバイブコレクターとして、楽しく活動していきます。

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