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RE_PRAY@さいたまスーパーアリーナ

11月4日と5日に行われた羽生結弦ICE STORY2 RE_PRAYツアー
さいたまスーパーアリーナに行ってきました。

CSテレ朝1で生放送された番組の録画を見直しながら、11/10くらいから感想をゆっくりゆっくり書いていたら、とんでもないニュースが飛び込んできました…
8/4の入籍の発表にファンの中では様々な反応がありましたが、私自身は、彼をはじめミュージカルで好きになった俳優さんなどもプライベートには興味がなく、本人が幸せで、良いパフォーマンスを見せてくれるのであれば大歓迎という立場の人間なので、祝う気持ちしか出てこなかったし、特に選手時代から有名になりすぎてスケーター仲間や友達と気軽に外も歩けないような状況になってしまっていた羽生さんには、これで素の自分をさらけ出して安らげる場所ができたことが嬉しく安心した気持ちでした。彼には誰よりも幸せになって、いつも笑顔でいてほしい。なのに相手を探ろうと執拗に追いかける一部ゴシップメディア、またこんなことになるという想像力も働かなかったのか?却って対象者に迷惑がかかるようなことをした地方メディア、その情報にさらに便乗するゴシップ誌の中傷や噂話、家族、関係者への付きまといやストーカー行為、それを見た(見るな!)一部の狂信的な輩がネットで誹謗中傷をするという状況に何もできなかった自分が情けない…。
「ただ見続けた」という言葉が胸に刺さります。
傍観者であった自分が恥ずかしいと思います。

でも一番辛いのはご本人達とそのご親族の方々ですよね。一般人はもちろん政治家だろうが、芸能人だろうが、アスリートだろうが、将棋の棋士やゲーマーであろうが、ユーチューバーであろうが、プライベートの結婚生活なんてものは他人には関係ないことです!
いちいち発表なんて今後はしなくていいので、こっそりよりを戻したっていいし、新しい人見つけたっていい。
どうか自身の幸せを諦めないでほしいです。
そのうえで可能な限り羽生さんのスケートを見せてもらえれば幸せです。

では羽生結弦ICE STORY#2 RE_PRAYのレポと感想です。
かなりネタバレがありますので、佐賀、横浜でまっさらで見たいという方はここで閉じてください。

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ストーリー全体としてはロールプレイングゲーム(以下RPG)の世界で旅をしながら戦うキャラクター(キャラ)羽生さんと、ゲームのコントローラーで操作するプレイヤー羽生さん、語りは映像に当てる形で流れますが、これはプレイヤー羽生さんではなく、キャラ羽生さんが話している言葉です。ここをプレイヤーの言葉として解釈してしまうと理解が難しくなるのかなと感じました。
5日のアンコール時に珍しくこのストーリーのヒントということで羽生さんが語ったのは
・プレイヤーは観客自身であること
・羽生さん自身はプレイヤーに操られるキャラクターの代表のようなもの
・好奇心のまま傍観者としてみていないか?
・1度しかない人生の主役は皆さん自身。人生で起こる選択肢は自分で選択し、自分の人生を生きてほしい
・命というものを考えるきっかけにしてほしい
ということでした。
 RPGゲームについては、ドラクエ、MOTHER、クロノトリガーは好きで、昔やっていましたが、今回下敷きになっているUNDERTALEやFFはやったことがなく、一番濃く影響が反映されているUNDERTALEのゲームの内容については、ゲームに詳しい方のTwitterや、 ブログ、YouTubeのプレイ画面を見てなんとなく理解しました。UNDERTALEについてはPCでプレイできるようダウンロードして今やっているところですが、普通のRPGと異なり戦う画面では瞬発力で避ける操作が必要な為、そういうのが苦手な私はなかなか進めません(笑)。まぁこちらはのんびりぼちぼちいこうと思います。

プロジェクションマッピングの描く格子型の柵の中で落ちてくる羽を眺め
落ちた羽の束を手で掬い上げ、その羽たちがまるでスノードームのように落ちてきて、上から下がる紗幕に映された柵を押し外へ出ようとしますが、出ることはできません。これは見ているときはわかりませんでしたが、最後に私達に語り掛けられる「壊すべき壁」なのかなとも感じました。
なぜなら1部では紗幕があるけれど、セーブできなかったあとリロードした後にこの幕はなかったからです。白いマントのようなものを纏った姿も、プロジェクションマッピングの格子もかわらないのに、紗幕だけないのは、1部でセーブはできなかったけれど、壁は壊せているからなのだと。

これはゲームのLOAD画面を表現しているのかもしれないとも思いました。初期のファミコンやスーパーファミコンは立ち上がるまでに時間がかかるし、ゲームのプレイボタンを押すと、そのゲーム機自体のオープニング映像が流れたりします。そこからSTARTボタンを押すと、「新しいゲームをする」か「続きから始める」を選べたりするのです。
そう考えると、最初の羽が舞い散るシーンはゲーム機本体のLOADで、「いつか終わる夢~Original」はゲームそのもののオープニング映像ということかもしれません。いつか終わる夢が終わると、羽生さんはショートサイド端の下部分にあるカメラに顔を近づけ、手を画面を覆うようにしてブラックアウトさせるのですが、これはオープニング映像が終わり、PLAYボタンを押したということでしょうか?画面をのぞき込むような感じでした。「いつか終わる夢」はこれから戦いに赴く戦士が数々の分岐点で選択をすることを暗示するかのようなプロジェクションマッピングの映像になっているので、GIFTの終わりのほうで演じられたものと違う印象ですね。羽生さんのスケーティングの美しさを純粋に堪能できるプログラムで、膝を深く曲げてストロークする動きや、ベスティスクワットイーグルが美しくて、ずっと終わらないでほしい夢のようです。衣装はGIFTの時と同じ濃いブルー系で夜空のような衣装です。

それが終わるとゲームはLOADされ、立方体の岩が落ちる中を避けながら先へ進むゲームのキャラクターが。激流にのまれ、抗うことができない状況になる中「できないから、しなかった」「数多の命を横目に生き永らえている」「息をする できない やめる」との言葉が。
息をする やめるって…ドキっとした時、キャラクターが流れる命を手に入れて激流から逃れる力を得ようと決意し、不敵な笑みを漏らすのが怖い。
赤字の「生きる」力を手に入れたと口から蜜を滴らせながら微笑む姿は闇の魔王のようです。
物語の世界に没入していたからわからなかったけど、自分の故郷で失われた沢山の命のことは意識しない日はないだろうし、それ以降もコロナ禍、ロシアのウクライナ侵攻、ハマスとイスラエルの戦いで一般市民の命があまりに残酷に奪われてしまう世界をみて、彼は憂えているのではないかとも思いましたが、今になってみると自身と大切に守りたいお相手のことを考え、諸々と戦う日々のこともあったのかもしれません。映像に映る不敵な笑みで、流れる命を喰らおうと決心し、唇からあふれる蜜を滴らせる狂気の目をしたキャラが滑るのは椎名林檎さんの「鶏と蛇と豚」。衣装はおそらく鶏をイメージする羽が腰のあたりに沢山ついた黒鳥のような衣装で、羽生さんのフォルムにとてもよく似合っています!衣装の中ではダントツにこれが一番好きです!
もともと私はこの曲を知らなかったので、最初に般若心経が聞こえてきたときは、かなり驚きました。
これはチベット仏教で主に言われる三毒(貪・瞋・癡)とのこと。
人間の煩悩のうち、もっとも悪い3つの煩悩=欲・怒り・無知、妄想
この歌の歌詞では、もっと甘い蜜が欲しくなり貪り食ったあげくに嘔吐してしまう。そこから自分の五感で感じて良いと思ったものだけが正解であると結ばれています。まさに「私がこの世界のルールだ」ですね。
この三毒の反義語が布施・慈・般若(欲ではなく、施しを・怒りではなく慈しみを・妄想ではなく知恵を)(Wikipediaより)
そう考えると今のSNSは三毒に溢れていますね。儲かりたい・人から認められたい・幸せな人が憎らしい・妄想に取りつかれ人を非難する…。そんな言葉たちにあふれた世界。
雑誌の売り上げや、ネットでのアクセス数がお金になるから、煽情的な記事を書くメディア、妄想に取りつかれ妬みでヘイトコメントを書く人…そんな社会へのメッセージでしょうか。
キャラの羽生さんは言う。
「一つ一つの命、手にすればこの激流から逃れる力を手に入れることができそうだ」
力をつけて多くの人を味方につければ、コントロールする力を手にすることができる?
「流れる命を 手にする?」必要な命はひとつだけ。自分の命があればよいはず。
多くの流れる命を手にすることは、「鶏と蛇と豚」の中で歌われているように、貪ること。
貪ることで生きる力を手に入れるキャラクター。
「息をする やめる」から周りの流れる命を手にすることで生きることを選択したキャラは赤い二本のレーザーの光線で道を進み、背中側には赤い正三角形。最初現地で見たときは、よく「魔笛」の演出に使われるフリーメイソンのシンボルのよう。
最初はレーザーによる赤い2本の線で作られた道から外れないよう滑り、
歌詞が自分の五感を信じるという部分になってから外れてイナバウワーをするあたりきちんと歌詞を表現していますね。スケートはもとより、上半身の肩、背中、腕、首などのアイソレーションの動きが素晴らしい。スケートでこういう動きができることも体幹と極めた技術の賜物だし、現状にとどまることなく進化を続けている証です。

激流にさからい、歩いていく決意をしたキャラクターはできることが増え、ほしいものが手に入るようになり、自由を手に入れた(と勘違いする)が、さらに強い敵があらわれ、それを倒すためにさらに小さい敵を倒して装備品を増やしていく中、夢を見ます。
5つの玉がはいっている籠と1つの玉がはいっている籠が吊り下げられている映像。そのままだと5つ、スイッチを押すと1つ消されていくーいわゆるトロッコ問題と言われているものです。初日はスイッチを押し、1つを消し、5つを生かしました。そして2日目は5つを消し、1つを生かしました。
初日は5つを表すものが何かわからなかったけれど、2日目に逆の選択をしたとき、5つはスケーターとして周りに存在する諸々(ファン、メディア、コラボする協力者、スタッフなど)で、1つは最後まで大事にしたい存在=結婚したお相手なのかなと捉えたのだけれどどうなのかな。どちらを選ぶことが正解というものはないこのトロッコ問題ですが、当然選んだことにより進む道は異なります。
現実には今回の発表ではお相手の幸せを願い敢えて離れることを選択しましたが、それは1つを消すことではなく、たとえ一部メディアや誹謗中傷する人達をさらに敵に回しても、職業羽生結弦にかかわる「5つ」より、守りたい大事な大事な「1つ」を生かすことを選んだのだと。そばにいられなくても守れる道を選んだのではないかな。

さて5つを選んだ時のプログラムと1つを選んだ時のプログラムの違いは何でしょうかね?
ナレーションでは緑=ホプレガ、白=阿修羅ちゃん、青=MEGALOVANIAのドットキャラが出てきます。
5つを選んだことで出てくるのがなぜHope&Legacyなのか?自然との一体感と、つかんだ希望をイナバウワーで見ている人に分け与えるシェイの振付であるはずのプログラムがなぜ?
抒情的で ひたひたと胸が暖かくなるはずのHope&LegacyがこのRE_PRAYのなかで演じられると何か違うイメージです。プロジェクションマッピングで映される月とそれを上に押し上げるかのように昇る赤々と燃える太陽が大勢に後押しされ勝ち残ることだけを追求するキャラクターに重なり、このプログラムでは普通感じない怖さのようなものを感じました。
これはいまだに私には理解できていないので、もし別の解釈を感じた方の感想を見てみたいです。大好きなプログラムなのですが、このストーリーの中でこの位置に配置された意味は何だろうかといまだに考えています。

そして翌日1つを選んだあとに流れるのは阿修羅ちゃん!会場は物凄い歓声!羽生結弦の独壇場!歌詞の意味を深く考えなければ最高にゴキゲンなプログラムですが、このストーリーの中でこの歌詞を聞くと羽生さんの言いたいことが込められているのかもしれません。

♪誰それがお手元の世界に夢中 化け物の飼い方学んでる 選ばれるためなら舌を売る 裏切られた分だけ墓を掘る♪

スマホは私達の生活にとても便利なツールですが、出歩くたびに遭遇する出来事を簡単に写真におさめ全世界に発信できる怖いツールでもあります。実際電車での事件や、交通事故で本来なら人命救助を優先しなければならない状況下で、なにもせずスマホで動画を撮り続けている人が多いことは恐ろしいです。プライベートを撮影し、許可を得ずネット上に上げることも週刊誌メディアと同様「悪」です!
メディアだけでなく、手元の世界で化け物を飼い、裏切られた分だけ墓を掘っていた人も…。

夢から覚めると、キャラクターは宮殿の回廊みたいな場所で落ちてくる岩と戦い、なんども死んでリセットし続け、先に進みたいという欲望のまま進みます。この映像の中でゲームのドット絵キャラクターではなく、実際の羽生さんがCGの岩をよけながら片手側転したり、岩に押しつぶされたりする中で、スケートのジャンプをして切り抜けていくあたりがスケートオタクとゲームオタクの融合で面白いところです。

そしてボスキャラが現れてのMEGALOVANIA!
UNDERTAILというゲームですべてのモンスターを殺すというGルートで出てくる“サンズ”というモンスターとの戦いの曲らしいです。
「今まで一度も死んでないだろう?それとも何度死んで来た?」
これはゲームで実際にサンズがいう言葉だそうです。確かにゲームではプレイヤーは死にませんよね。死ぬのはゲームのキャラクターで、プレイヤーがRESET&CONTINUEすれば何度でも生き返れるのですから。でも今まで私がプレイしたゲームでそんなことを言われたことはなく、それが当たり前だと思っていました…。UNDERTALEでサンズとの戦いのシーンはYouTubeにいくつか上がっていて、それを見るとサンズがプレイヤーに対し「どうせ何度もやり直すんだろう、俺はやられることになっているんだ」的なことを言っていました。RPGをやると当たりまえの作業に対してゲームの中から非難されるという頭をガツンと殴られたような衝撃でした。

登場した羽生さんが来ている衣装の両腕には、サンズの顔(ドクロ)を縦半分にした柄が描かれており、ここで滑る彼はゲームの勇者などではなくボスキャラそのもの。
戦っているのは誰?となるがこれは見ているときにはわからなかったですが、2日目に羽生さんが語ったようにプレイヤーは観客=ファンであるのなら、私達がサンズを模した衣装で滑る彼を攻撃しているという設定?
自分は一度も死なず、ゲームのキャラを使ってコントローラーで操るかのようにWeb空間で人を戦わせて喜んでいるのがプレイヤーであるかのような感覚…古代ローマのグラディエーターが戦わされていた闘技場を想像してしまって、すごく興奮して自分好みのプログラムでありながら胸が痛くなって見ていられないような複雑な心境でした。

羽生さんは曲が始まる前の無音状態の中、あえて音がするようエッジを深く滑り、エッジを強く氷にたたきつけ、またトウピックを氷につけたまま滑ります。ゲームを知る人によると、サンズの場面で流れる鳥のさえずりかもという説もありました。ここで発せられる音により緊張感は高まり、これから戦いが始まるのだということが伝わります。
このプログラムはスケーティングとスピンだけで構成されたもので、スピンも何種類も体勢を変えたバリエーションが曲とマッチしていて、音ハメにゾクゾクしてしまう私には最高のプログラム!キャメルスピンの姿勢を取りながら右手をリズムに合わせて動かすところとか、シットツイズルとか、時々カメラのシャッター音のような音とともに音楽がいっとき中断する部分にも動きを合わせ、スピンの回転をコントロールしているのが素晴らしい…!
今回のRE_PRAYの中で私のイチオシはこのプログラムです。
動画で見た、サンズが左手を動かす方向から攻撃が飛んでくるシーンは、羽生さん自身が同じ動きをしている映像が会場のあちこちに置かれたモニターにかわるがわる映し出され、レーザー光線もサンズが放つ攻撃のようにあらゆる方向から滑る羽生さんに照らされ、リンク上にもスピンに合わせて渦巻く映像が映し出され、ゲームの戦いの場面を具現化していて舞台好きの私の興奮はMAXになりました。初日のCS放送だとここはモニターしか映されていないのが至極残念です!

MEGALOVANIAが終わると、その先にはさらに強力なラスボスがいます。
最終形態に進化したラスボスを倒すため、今までのプログラムの衣装を来た小さいゲームキャラ達が挑み次々と倒されていきます。ここはなんだか自分がやったドラクエでどんどんパーティのメンバーが死んでいってしまうシーンを思いだしてしまいました。この衣装のドットキャラがよく各プログラムの特徴を表していて、可愛くてクオリティ高い!

ドットキャラの可愛らしさに反して、メッセージ性が一番強いのがこのシーンだと思ってます。

そのまま引用します。

“欲望のままにここまで来た気分はどう?
区々たるものを踏み台にして来た気分はどう?
ここに至るまでの人生(みち)
様々なことがあっただろう
あなたは知っている 勝利することの快感を
道を切り拓くことの達成感を
そして
次の物語を楽しみに待っていた
何もかも乗り越えてきたつもりだろう?
だがそれは大きな勘違いだ
振り返ればわかるだろう
乗り越えてきたんじゃない
他人も、身体も、精神も、
自我も、命も、道徳も、倫理も、理性も、想いも、
夢も、希望も、憎しみも、嫉妬も、決意も
全て壊して
踏みつけて歩いてきた世界だ
ただ考え、見ていただけ?
選んだのだろう?
見続けるという選択を
この世界を見たいという心のままに
同時に進めるよう 応援していたのだろう?
一緒に戦っていたのだろう?
レベルアップ(経験)してきたのだろう?

何度も止められるチャンスはあった
それでも物語に委ねてきたのだ
もう止められない
さぁ最後だ これで最後だ
突き進むために これまでの想いのために
選択しよう
 あなたの世界に超えるべき壁はありますか?
壊すべき壁はありますか?“

特に太字にした部分が私達へのメッセージだと思ってます。
戦う彼と一緒に戦うように応援するときに
虎の威を借る狐になっていませんでしたか?
 贔屓の引き倒しをしていませんでしたか?
他者との壁を作って人を非難しませんでしたか?

赤い羽根のようなフリンジが付いたコスチューム(オリジン1の赤版みたいなイメージ)を着た羽生さんが登場し、タイムカウンターが動き出します。会場内も明るくなり、見慣れたファンにはすぐ6分間練習だとピンときますが、いつもの6分間練習とは異なり、ここでかかっている曲にもちゃんと合わせて準プログラムのような作りになっています。後から彼が答えたインタビューでは、6分間練習でも物語の世界の中のようにしたかったのでダンジョンにいるような設定と言っていましたが、まさに音楽も含めそんな感じでした。
「これが最後だ」という先ほどのナレーションはこのショーではないよね?と不安になるような緊張感です。
この赤い衣装も、ファイナルファンタジーのラスボス、クジャというキャラクターをイメージしているようです。6分間練習後はトロントから連れ帰った本妻プーさんが見守り「破滅への使者」が始まりました。
競技と同様4分チョイの勝負プログラム。

4S、イーグル、3A-2Tタノ、3S,スピン(ドーナツからシットスピン)、ツイズル、あまりレイバックしないイナバウワー、4T、4T(ここで転倒したので本来3Tか3Sがつくコンビネーションだった気がする)、3A-EU-3S-EU-3S、ハイドロ、キャメルから始まるスピン…
ここまでいくつも滑ってきたとは思えない構成…。3Sの手前のドライブ感あふれるところや、2本目4T転倒後の3A-EU-3S-EU-3Sはすごかった…!これができるのが羽生結弦なのですね。初日はとても疲れているような滑りだった印象でしたが、2日目のほうはいつもの羽生さんでした。こんなすごい人を同時代に見せてもらえることはなんて幸せなのだろうと思いましたよ…。圧倒的な覇王感。
あぁこれを見るとまたOriginが見たい…と思ってしまいます。特に最初のバージョンの黒衣装バージョンで…。でもOriginはしばらく封印かもしれませんね…。

破滅への使者が終わると、一応ラスボスは倒せた設定でCLEARとなり画面ではゲームのセーブ画面。でも新しいデータにセーブしようとすると、最後に「データが壊れています」と…。RPG経験者ならわかるけど、これは絶望するパターン。私はファミコン時代にドラクエをやっていましたが、その頃は「復活の呪文」といって、長い文字をメモして、再起動させるときはそれを50音表から選んで押さなければならず、一文字でも間違えると起動しないというシステムでした…。ここで1部が終わり製氷タイム。
1部は落ちる岩のシーンでやったようにRE_PLAY(何度もリセットする)形で終わり、2部はRE_PRAY(祈る)コンセプトに。

2部は1部でセーブできなかったことから、START画面からやり直し。そう「いつか終わる夢」から始まるのだけれど、2部はREが最後についています。衣装も初めのものはブルー系の夜のような衣装だったけれど、2部は白。曲も清塚さんがピアノだけのバージョンでアレンジしたものでテンポや和音の感じが違います。衣装の白に反して、曲も照明の色合いも寂しく感じる演出になっていました。途中で映される言葉たちも最初のバージョンとは異なります。ゲームの中にはセーブできなくてもまっさらの状態でSTARTする場合と、途中まで進んだ状態でRESTARTさせる場合と会話などの流れが変わることがありますが、このバージョン違いもそういう意味なのかな?
滑りの動き自体は1部と同じなのだけれど、清塚さんの演奏に合わせて振りを変えている部分もいくつか。曲ではなく演奏に合わせると言っていたのがわかります。
終わり方も1部で手に入れた命をそっと天に返すかのような優しい動き。後悔、鎮魂そんなイメージの「いつか終わる夢:RE」でした。
再度LOADさせた後の「流れる命を手に入れる?」はNOを選択。
湖に沈み込む映像。何も見えない暗闇の中自分が何者かわからなくなり、
自分は誰かを「神様」に問いかける映像の中の羽生さん。キャラクターから見た「神」とはゲームのプレイヤー?2部では流れる命を手に入れない選択をするということは神の操作の軛から逃れるということでしょうか。神=ファンだとすれば、もうファンの希望通りには動かないよ、ということかな。それでいい、と私は思います。
ワンマンショーだけにしてほしいとか誰は良いけど誰はダメとか、そういう意見なんて無視して好きな仕事をすればいい。
もちろんこういうのが見たいという希望を表明するのは自由だと思うけど、何をするかは羽生さんの自由。またそれが合わないという人が去っていくのもプロの世界だと思います。お金をとって興行するってそういうことですよね。普段から舞台も見る私としてはその辺はシビアにとらえてます。もちろん羽生さんがずっと進化して私達の想像の上をいくスケートを見せてくれるということを信じているからこそですが。

勝つことを求められ数多くの流れる命を手に入れたけれど、それはセーブすることができず、新しく今まで手に入れてきた命を天に返さなければならなくなったのが「天と地のレクイエム」だったのでしょうか。このプログラムは私にとっては、ボストンワールドのEXの演技がそれはそれは素晴らしくて、でもまるでこれがスケートとの今生の別れなのか?とも思える切実さがあって、いてもたってもいられず初めてファンレターなるものを書くきっかけになったプログラムです。滑る羽生さんの魂ごとどこかへ飛んで行ってしまいそうに見えてしまうのです。
よく神を降ろす巫女は「器」と言われるけど、さにこれを滑る彼自身はなくなり、神の器になって滑っている気がしています。だからこそあまり滑らないのかと思っていたけど、この日滑ったのはやはり「PRAY」=祈るためだったのでしょう。
上につるされた四角いランタンのようなものが天と地のレクイエムに合わせて灯がともります。
私達が生きていくうえで無意識に犯している罪、傷つけている人の心、それらを羽生さんが代わりに祈り天に還してくれたような、そんなシーン。私はキリスト教のことはよくわからないけれど、まるで人類の罪を背負って十字架にかけられたイエスのようじゃないですか…。羽生さんにそんな重荷を背負わせてはいけないよね。
「鶏と蛇と豚」で現れたような白いレーザーでラインが作られ、「あの夏へ」が始まります。
魂のような小さい光が羽生さんが滑る周りを飛び回る。GIFTでこのプログラムを見たときは、「水」で失われた命への鎮魂だと感じましたが今回は天と地のレクイエムの後ということで魂を帰した後の地上の浄化でしょうか。
ゲームの画面の選択肢には「→祈る←」が現れます。希望、夢、命の続きを祈り続ける象徴として「春よ、来い」。冬来たりなば春遠からじという言葉があるように、今辛く厳しい冬だと感じているなら、春はもうそこ、希望はあると思わせてくれます。羽生さんの状況もそうだと良いのだけれど…。
このRE_PRAYを見ると「命」を大事にするために何かできないか考えてみませんか?と言われているような気がします。SNSでは善か悪かとか正しいか間違っているか、善か悪かの2択で争っているのをよく見かけますが、本来その二つの間には数多くのグラデーションがあります。そのグラデーションの部分を大事に他人も自分も大事にしませんか?とそんな問いかけをされているように受け取りました。
そして、羽生さんからのメッセージとして、自分の人生を生きて欲しい、自分の人生の主役は私達自身だということ。人生は選択の連続だけれど、その選択をするのは私達自身。人生の舵を人任せにしてはいけないのです。私は結構好きなように生きてきて、老後どうなるのか不安な人生を送ってしまったのですが、それでも一度共依存になりかけた所から抜け出した経験は糧になっていると思っています。他人や何かに依存することは、自分を大事にしないこと。自分を大事にできない人は人をも大事に出来ないです。それは心してこれからも生きていきたいと思っています。

羽生さんのアイスストーリーRE_PRAYは、ふさわしいプログラムがあり、音楽と世界観を表現する正しい技術力があります。特に音楽に同調性のある動きが、滑りながら高難度のジャンプやスピンのタイミングを合わせた状態でできるというのは唯一無二。羽生さんのスケートが、その創る世界が大好きです。どうかどうか、健康で、長く滑っている姿を私達に見せてください。媒体であろうと職業羽生結弦であろうとスケートで魅せてくれる姿だけで十分です!

エストポリス伝記Ⅱの曲に合わせたエンディングクレジットでは、今回使った新プロの衣装を曲とともに変えながら、試合さながらのジャンプ構成で滑ってくれたことに感激でした。これ、いつの日か、1つのプログラムとして滑っていただけないでしょうかね。
ゲーム界にも今回のRE_PRAYを見て感動された方や羽生さんの発表に寄り添う発言をしてくださる方々がいらっしゃる。ゲーム情報誌のどこかが羽生さんとゲーマーさんたちの対談とかセッションみたいなものを企画があれば楽しそうだし、羽生さんも楽しいのではないかと思いますがどうでしょう?
多分羽生さんが一番年相応になれる話題なのではないかと思うのですよね。おそらくLINE等では多少知り合いと連絡はとれているのでしょうけど、なかなか新しい友達を作る場というのはなさそうなので、ゲームの話が合う人と出会える場があるといいのになぁと思ったりします。

RE_PLAY→RE_PRAYなのはすぐわかりましたが、
LOAD→LORDではないかというのをフモさんのブログで見て確かに!と思ったし、さらにSAVEがデータをセーブするというのと守るという二つの意味があるのではという感想もネットで見かけて皆さん凄い考察力だなぁと思いました。それも掛詞(ダジャレともいう(笑))好きの羽生さんらしいな。ふふふ


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