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Diaryというか心象?_自分にできること?

最近
どんなに言葉を考えて考えて、振り絞ってみても
言ったそばから
全部、間違ってるような気がしてしまう。

なにか言葉を発しても
私の人生経験と価値観から
生まれてくる言葉なんて 全部不適切で
それで、「うん、うん」と
できる限り口角をあげながら、うなずいて
大丈夫だよって、全部吐き出していいんだよって
泣き笑いのような表情でしか伝えられない。

昨日、寒くて凍てつくクリスマス・マルクトで、
アマレット入りのグリューワインで胃を温めながら、ある女の子の話を聞いてた。

逆境のなか 自分の道を切り開いて
歩いていこうとする人の姿って
どうしてこんなに美しいんだろうって思った。
誰かのせいにして、
逃げることもできただろうけど、
彼女はその選択はしなかったんだね。
家族がすべてを与えてくれるわけではない。
そんななか、いまあるもの、持てるものを理解して
受け止めて、一歩一歩、着実に進んでいる彼女の周りには、
自然と応援団がいっぱいできていた。
それを当たり前のことと思わずに
心から感謝する彼女をみたら、
誰だって応援せずにはいられないんだ。
ここにいていいんだよって。
それは彼女の母国の人たちではなかったかもしれないけれど。
たぶん みんな みんな
それぞれに 許される場所を必死で探して
見つけて 生きていくんだ。
それが見つからないうちは、心細いどころじゃなくて、
生きているのも辛くて 苦しくなる。
淡々と話す彼女の言葉と言葉のあいだから、
誰も分かってくれないという叫びが聞こえる気がして、
だから、間違ったこと、絶対に言いたくなくて、
昨日もできる限り笑って
目をしっかり見て話しを聞いた。
それでなんでか聞いていた私の方が
勇気をもらってしまった。
こんなのでよかったのか分からないけれど、
最後に話せてよかったと彼女が笑ってくれたから
ちょっとだけ安心した。

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