【△の日常】お味噌汁に手毬麩を

手毬麩というものが、可愛らしくて好き。お花の形のものも。

だけど、小さい頃、母の買い物について回ったときにねだっても、なかなか買ってもらえなかった。
母にとっては、見た目の良さよりも使い勝手やコストパフォーマンスが優先で、麩に「可愛らしい」という要素は必要ないようだった。

「好きなのに買ってもらえなかった」のか、「買ってもらえない(ほど珍しかった)から好きだった」のか、因果関係は今となってはわからない。

あれから何年も経ち、自分で料理をするようになったが、わたしは手毬麩の類のものを買ったことがない。

料理を可愛く作る必要はない(と感じるようになった)し、スーパーで売り場を眺めていても、見た目にこだわったものは高いと感じるから。むしろ、しろい地味な麩の方が、ふくふくとおつゆを吸っておいしくなってくれそうな気さえする。
きっと、あのときの母も同じことを考えていたのだろうな。

先日、実家に帰ると小箱を手渡された。中には、お花の形の麩と、そういう具材が入った汁物の最中。「頂き物なんだけど、あんた、そういうの好きでしょう。」と母は言う。

ちゃっかり写真におさめてしまうくらい、「可愛らしい麩」への憧れは、今も薄れていないのだった。

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