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読書日記 八月

夏なので、なんとなく読書日記でもつけてみようかと思い立った。思い立ったので、早速つけてみた。このnoteの始まりと同じである。
以下に、随時追加していく予定。

8月6日(火)
昔から体温調節がとても苦手で、なかでも暑さにはすこぶる弱かった。そのせいで、夏はいつにもまして食欲がなく、白桃や葡萄のゼリーだけを心の友に過ごすことが多かったのだけれど、今年は八月に入ってからこっち、何故だか不思議ともりもりと食欲が湧いてくる。
春から続けているジム通いが効いているのか、はたまた近所の畑でとれた夏野菜をふんだんに摂取しているからなのか。とにかく毎日三食おいしく食べられるということは、なんとも幸せなことである。

今朝はレモンブレッドとクロワッサンを食べた。食器を洗ったあと(ひんやりとした水が心地よいので、夏場のお皿洗いはとても好き)、お気に入りのイヅツグレープ ナイヤガラのジュースをグラスに注いで、二階へ上がる。
今日は何もしない日と決めていた。蝉の声を聞きながら、学生時代の夏休みよろしく日がな一日ごろごろと扇風機をまわした部屋で本を読むのだ。

さて、それでは何を読もうかしらと思って本棚を見ると、まるで自分を選んでほしいとでも言うように、ころりんと転がり落ちた本がある。
安藤元雄の『椅子をめぐって(昭森社/1975)』だ。

何年か前に追分の古本屋さんで買ったことは覚えているのだけれど、おそらく今までに一度も読んだことはない。内容も、エッセイなのか小説なのか論説なのか、さっぱり分からない。
それにしても、どのようにも受け止められる、その文字列だけで無限に世界が広がっていくような素敵なタイトルではないか。
木製の椅子なのか、布製、ステンレス製かもしれないし、ラタンチェアも夏らしくていい。一人掛け? 二人掛け? 新品? それとも、石壁の古いお屋敷のなかで、世紀をまたいで在るようなもの?

そんなことを考えているうちにわくわくが止まらなくなってきてしまったので、今日のお供はこの一冊に決める。
古本屋で本を買う時はいつも、ぱらぱらとページを捲って、気に入ったフレーズがあると購入することを決めるので、きっとこの本にも何か私にとって心地のよい響きの文字列があったのだろう。
過去の自分が、これはと思ったのだろうそのフレーズを追体験することもまた、読書のたのしみのひとつである。
(『椅子をめぐって』)


8月15日(木)
『椅子をめぐって』を読み終えた翌日の午後に、ちょうどタイミングよく取り寄せていた本が書店に届いたとの報せを受けた。橋本治の『もう少し浄瑠璃を読もう』である。この本の校正版を見ることなくこの世を旅立ったという、橋本治の最後の新刊。
待ちかねていたので、電話を受けてすぐにいそいそと駅へと向かった。ネットで注文するのも手軽でいいのだけれど、この「待て」が解禁される瞬間が私はとても好きなので、特に楽しみにしている本のいくつかは、今でもあえて書店で取り寄せてもらっている。

この本には前作(『浄瑠璃を読もう』)がある。それの評判がよく「またやって」と言われた橋本治が、「まァもう少しだけなら。今回は地味なラインナップですよ」と遠慮がちに語り始めたのがこの本というわけだ。
私を含め、その「もう少し」を、もう少しだけ長く聞いていたかったなあと思いながらこの本を読んでいる人は、きっとたくさんいることだろう。
取り上げられている内容が個人的に興味のある分野、ということもあって。この本は本腰をいれてじっくりと、家のなかでしか読まないと最初の数ページで決めてしまったので、読了にはまだしばしかかりそうだ。

とはいえ、出先でも本は読みたい。
電車のなかや、お昼休憩に入る喫茶店で読むのに手頃な文庫本。そう思って、今日はタイトルや作者も目に入れず、本の厚さのみを見てお供を選んだ。一日か二日で読みきれるくらいのがいい。そうして手にとったのが梨木香歩の『村田エフェンディ滞土録』だったので、どうやらつくづく私は彼女の作品が好きらしい。

夏になると、それも少し晩夏の気配が色濃くなる頃になると、私は何故かいつもシルクロードだとか、かつてのオスマン帝国をはじめとした西アジアの地域を舞台にした小説や随筆や旅行記を読みたくなる。西方と東方が絶妙に混じり合い、二つとない独特の文化を織りなすあれらの国々の在り方と、夏と秋とのグラデーションがかった境界線上にある晩夏という季節に、なんとなく親和性を感じているのかもしれない。

実際、ここ数日は毎朝9時にテレビで「シルクロード 絲綢之路」を見ている。断片的に見たことはあるけれど、全て通して見たことが実はなかったので良い機会になった。
かつて栄え、華やかに文化を息吹かせた国や民族たちの息づかいを紙や画面ごしに感じる時、そこには同時に、彼の地を闊歩する駱駝や驢馬の、あのなんとも言えぬ物悲しい瞳の印象がある。人間という生きものについて、これらの土地を見つめる時にもっとも深く、私は考えさせられるのだ。

そんなことを思いながら『村田エフェンディ滞土録』を読んでいる。
この「土」とは「土耳古(とるこ)」のこと。エフェンディとは、トルコ語で学者先生といった意味らしい。エルトゥールル号和歌山沖遭難事件の際の日本人の献身に胸打たれた土耳古皇帝によって招聘された、村田という学者を主人公とした小説である。
彼が下宿する家には、村田の他にも英国の女主人公に土耳古、希臘、独逸の青年たちが暮らしている。それぞれの宗教、それぞれの価値観、そういったものが、さりげない日常生活のなかでふと浮き彫りになる瞬間があり、彼らは互いにそれを尊重しあったり、譲れない思いを抱えたりする。
そんなふうに、梨木香歩もまた、ひたすらに何かと何かの境界を見つめ描く人だから、この土地を作品の題材に選ぶ理由がよく分かるような気がして、勝手に親近感を覚えている。
(『もう少し浄瑠璃を読もう』『村田エフェンディ滞土録』)


8月29日(木)
実質この記事を上げたのは9月3日になるのだけれど、下書きには29日から保存していたので、何卒8月読書日記の範疇でご容赦願いたい。
なにせ、この8月の中旬以降は刺激を受けることが多すぎたのだ。
わんこ蕎麦か流しそうめんといった具合に、次々と我が身を襲うその刺激の一つ一つがまたあまりにも存在感を放っており、なんとか受け止め咀嚼しているうちに気がつけば月を跨いでしまった。

その一部をここでは個人的に覚え書いていきたいと思う。
始まりは8月16日のこと。
私は遊行舎の遊行かぶき「しんとく丸:稚児の舞」という、出来の良い悪いだとか、好きや嫌いを超越した、なんだか猛烈に強烈で、色で例えるならネオンカラーといった力強さで濃ゆい印象を残していった舞台を見にいった。
そのあまりのアッパー具合にクラクラふらふらとしたまま、取りあえずどうにかこれを自分なりに理解して落とし込みたくて、『小冊子 遊行かぶきの歩み 1989-2016』と白石征の脚本『母恋い地獄めぐり:さんせう太夫・しんとく丸』をその場で購入する。

その翌日には、最終日だったサントリー美術館の「遊びの流儀」展を駆け込みで見に行った。
こちらの展示も、遊楽図や風俗図といった、人間たちが人生清濁ありながらも何やら楽し気に生きている様をちまちまと見るのが好きな自分には、とても興味深く新たに刺激を受ける個人的な発見が沢山あった。
遊ぶことの俗でありながら聖であること、遊ぶ行為とそこで得られる笑いや楽しいという感情に、高貴も下賤も関係なく、身分の差異などないこと。そんなことを考えながら見ていた。
人物が描かれず、ただそこに見える衣や小物、碁盤などから持ち主を想像して楽しむ、お気に入りの誰が袖図屏風も見られたので大満足だ。当然のごとく、展覧会図録を購入する。

そして更にその翌日には、毎年恒例の避暑地・軽井沢への家族旅行へお出かけといった具合なのであった。
この軽井沢という土地は、さすが高原の文学者たちと呼ばれる様々な文化人の集った場所なだけあって、毎年行くたびに必ず新たな発見や出会いを与えてくれる。なかでも、追分にある古本屋と軽井沢高原文庫では毎年大量の古書の購入をし、特別な出会いをすることが多いのだ。
今年は11冊。ラインナップは『岸田國士慰問集 白葡萄』『アンドレ・ジイド全集:第二巻』『市と行商の民俗』『無縁・公界・楽』『芍薬の歌』『アジア民謡集成』『小さな蕾9巻32号「大津絵」』『花嫁化鳥』『眼球譚』『歌・俳句・諺:日本児童文庫64』『我家の紋・年中行事:日本児童文庫65』といったところである。趣味と本業関連と雑多に入手した。
余談だが、今回は蚤の市近辺で物と人との好い出会いがあった。ここらへんのことは、気が向いたらいつか別の記事で書くかもしれない。

まあ、ここは読書日記なので本に話を戻すけれど、当然、入手したら読みたくなるのが人間心理だ。私は欲求にとことん素直なので、それはもうすぐさま購入した本たちを紐解いた。現在は絶賛、寺山修司の『花嫁化鳥』と日本児童文庫sを読んでいる。

つまり現状の読書環境を説明すると、しんとく丸関連の書籍を読みながら軽井沢の古本屋で購入した本たちにも手をつけ、帰宅後は『もう少し浄瑠を読もう』もまた少しずつ読み進めているという状況なわけだ。
どこのハレムのスルタンか、といった節操のなさぶりに自分でもほとほと呆れながらも、しかし懲りない人間なので、ここに新たに一冊投入された。
西東三鬼の『神戸・新神戸』である。
親愛なる森見登美彦氏の解説に惹かれて購入し、つい好奇心に負けてぺらりとページを捲ったのがいけなかった。反省はあまりしていない。

結局のところ、前回の読書日記から8月中に読み終えることが出来たのは『村田エフェンディ滞土録』と『遊びの流儀』展覧会図録だけだった。
9月はもう少し、このしっちゃかめっちゃか平行読み状態から脱却していると良いなあと未来の自分に期待をしながら、この2019年8月の読書日記を締めとしたい。
(『遊行かぶきの歩み』『母恋い地獄めぐり』『遊びの流儀:遊楽図の系譜』『花嫁化鳥』『日本児童文庫64』『日本児童文庫65』『眼球譚』『神戸・新神戸』ほか)


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