性暴力のある家庭に育った話

17年前の日記を少し読み返した。当時付き合っていた大学生の男の子との生々しいやりとりから最初の同棲から妊娠のことまでがつぶさに書き留められていた。とにかく人に支配されたくないという叫びがいたるところに転がっている。

過干渉な母親と支配的でヒステリックな兄、酒乱の父親の元で育った私はいつも息苦しかった。兄からのいたずらや父からの性的なからかいは今もうなされるくらい私の中に色濃く残っている。いつからか「このままでは私は私でいられなくなってしまう」、そんな焦燥感に駆られていた。距離の近すぎる兄にいつも恐怖していたことばかり思い出す。卑猥な曲や卑猥な漫画を見せては、私の顔色が変わるのを血走った目で上から下までジロジロと無遠慮に見てくる。時折、恋人のような距離感で色々語っては私に同意を求める。汗ばんだ膝がぴったりと私の太ももに張り付く。私は「へぇ、そうなんだ」となんでもないように返す。この時間が早く過ぎますように、母が早く仕事から帰ってきますように。頭の中はそれでいっぱいだった。兄は私の返答が気に入らなかったらしく、笑い話のように「お前は本当にスーパードライだよなァ」なんて揶揄した。その気がなかったとは言って欲しくない。他人からしたら些細なことかも知れない。私は常に「恋人のようなもの」、ようは「女」として扱われていた。今思い出しても吐き気がする。ほとんどの人が帰ってきたらホッとする場所は私にとって地獄だった。早く逃げ出したくてたまらなかった。

過保護な母親からピッチを持たされた。中2の頃だったか。5分でも帰りが遅いと鬼のように電話がかかってくる。その場で15分20分は説教されるので電車にも乗れずさらに帰るのは遅くなるのだが、それなのに帰宅すると「どこに言っていたんだ」「誰といたんだ」「男といたのか」といわれのない詰問を受ける。深夜3時まで及ぶこともあった。これは度々繰り返されるので私が家でくつろげる時間というのはほとんどなく学校ではいつも居眠りしていたし、勉強するのも一番になれないから大嫌いだった。本当に10代の頃は地獄だった。そんなだから当然友達づきあいもうまくいかなかった。

高一の時にピッチの掲示板で大学生とやりとりを始めた。この人と会えば私の人生は変わるかも知れない。そんなことまで考えて当日を迎えた。ヒョロくて冴えなくて映画を観に行く約束だったのに「映画のお金持ってるでしょ?ホテル行こうよ」と言われた。完全にダメな方向で人生が変わってしまったし、終わってみると感動もへったくれもなく「つまんない時間だったな」と思った。全然好きになれそうにないけど恋愛が始まるんだろうかと思ったら音信不通になって終わった。

覚えているのは「今俺、36人とセックスしたんだよね。君で37人目。」みたいなことを言われたこと。そうか、セックスとはこうやってスコアを伸ばすものなんだなァと学んだ。完全にダメな学びなのだけど…。

その後も何人かと掲示板やらで男と会うことを繰り返したけど、私はまだ話し足りないのに「そろそろセックスしようか」と男がいい始め、その気にならないうちになんとなくセックスをされた。ひどい男だと「なんだよ、騎乗位もできないのか?」などと言ってきたし、俺はこれだけ君にお金(食事代など)を出したんだからセックスさせてもらわないと困る、とも言われたことがある。ちなみに大体は16から17歳くらいの頃の出来事。今思えば本当に子供だった。

一度自分が憧れていたシャネルの香水をねだったことがある。その頃には性はこういう風に使うものなんだろうと肌で感じ始めていた。中年男と百貨店のコスメコーナーに赴いたのだが、今思えばどこからどう見ても援交カップル(?)だった。香水は実は3万もするもので、大変なことをしてしまったと冷や汗が止まらなかった。その後香水は親に見つかって没収、コッテコテに怒られた。コッテコテに怒られる中で「そんなにセックスが好きなのか」とか「この売女が」のようなことを言われたのだけど、そんなこと言うなら、なぜ兄を止めてくれなかったのかと恨みがましい気持ちで聞き流していた。私にとって母親は家族の安寧のために差し出される人身御供のようなもので、私さえ我慢すればいいんだろうと強く感じていて、それでも息苦しくてたまらなかった。

私の性が兄や父のものにならなくてよかった、私はこれでよかったといつも自分に言い聞かせるようにしていたのを覚えている。出来事としてはどちらかといえばマイルドな類かも知れないが、私を狂わせるのには十分すぎる出来事だった。てか、毎日嫌いな相手から肉体関係迫られるようなセクハラ受け続けたら頭もおかしくなるだろ。そんなわけで20年だか25年だか経っても私は家族のことを恨んでいる。殺された魂は戻らない。

先日見にいった私たちは「買われた」展を見て昔のことを思い出した。なんでか私は性暴力に欲しくもないのに縁が強くて、見に行かずにはいられなかったけど、やるせない気持ちになった。もっと少女が、かつての少女達が自分らしく生きられるようにと願わずにはいられない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?