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コンヴィヴィアリティとマニュファクチュア

最初に結論

産業革命以降の社会の生きづらさから脱却するために、それぞれの人がそれぞれの力で必要なものをつくる社会を目指した方がいいのかもしれない。
そのために「つくりたい」を「つくれる」に変える力が必要かもしれないね、という話。


はなしのまくら

必要に駆られて(?)note をはじめてみるテストです。
こんにちは。poipoiです。
フリーランスのテクニカルディレクター/デバイスエンジニアとして活動しています。

poipoi は割とおじさんなので学生時代の SNS の思い出と言ったら Twitter でも Instagram でもなく mixi なのだけれど、いまだに mixi は良かったなと思うのが「日記」っていうスタイルでまとまった分量の思考を手軽に晒せるところ。

ブログだとちょっと重いし、Twitter には収まらないよね、っていう日常のちょっとした思考を整理せず垂れ流せるちょうどいい距離感の媒体が、mixi 以降なかなか見つからなかったのだけれど。
この度 note を始めるにあたってそんな風に頭の中にある駄文をだーーーっと書いていく場にできたらいいなと思ってます。
(3日坊主グセがあるので更新は不定期になるだろうけども。)

最初は何を書こうかなーと思ったけど、まずは poipoi がフリーランス活動をしているときに使っている屋号、「マニュファクチュア」について。


超人にはなれなかった僕たち

poipoi は若林恵さんという方のインタビュー記事がとても好きでよく読んでいるのですが、特に産業革命以降のシステム化された世の中に対する言及が、長年自分の頭の中にモヤっとあった思いを言語化してくれたように感じてすごく好きなんですよ。

つまり、近代の産業社会は、その理想形として最初から「超人=ポスト・ヒューマン」を仮想してきたって言うのね。工場ってのは最初っからロボットに最適化されたシステムで、そうなんだけど当初はそんなロボットなんてないから、ヒトをそれに近いものとしてつくりあげるために近代教育が生み出され、修理工場として近代病院ってものが整備されて行ったという。

(中略)

その線でいくと、ヒトは、近代が望むような「合理的な存在」になろうと頑張ってきものの、どうやっても「超人」にはなれない落ちこぼれとしてこの100〜200年くらいをずっと生きてきたミジメな存在でしかないってことになるのね。

(中略)

だから、むしろ、その事態を「解放」だって思った方がいいんじゃないのかな、と。完全であることとか、合理的であることを求め続けられてきてなれなかった「不具の超人」であることから、やっと解放されるんだって。

産業革命が起こって、工場というひとつのシステムが出来上がる。
そうするとそのシステムの上では人間は労働力という名の単なるリソースのひとつに過ぎなくなってしまうわけです。
リソースをどれだけつぎ込んで、どれだけのリターンを得られるか。ものづくりっていうのはそういう資本家たちの金勘定の文脈の上で語られる概念になってしまったのです。
(別にお金を稼ぐこと自体が悪いわけではないけれど。)

これは、テクノロジーを仕事にしている我々にとってはとても悲しいことだと思うんです。
テクノロジーの進歩が、人間をロボットにする手伝いに使われているという事実は、なんだか SF に出てくるディストピアを見ているようじゃありませんか?

しかも今、AI や IoT が登場してその傾向が加速している。
産業界は「第4次産業革命だ!」なんて沸き立ち始めてるわけです。
最近よく、AIに仕事を奪われる、なんて話を耳にしますが、これもそもそもが逆なんですよね。24時間365日休まず働ける理想の労働力の代わりとして、現在人間が労働をしているだけというなんとも悲しい事実。

我々はいまだに産業革命というレールの延長線上を、ディストピアに向けてせっせと進もうとしているわけです。


コンヴィヴィアリティと脱産業革命

さて、冒頭で紹介した若林恵さんは、インタビュー記事の中で同時にイリイチという思想家についても言及しています。

そのイリイチが提唱している「コンヴィヴィアリティ」という概念。これがこれから我々が進む道をディストピアにしないヒントになるのではないかと思っています。

とても抽象的な概念なので意訳になってしまいますが、

我々人間が道具(システム)の歯車に成り下がるのではなく、自立的かつ共生的に生きることができるようになる、それを推進するための道具

と、いうことだと poipoi は理解しています。

発展した技術を、これまでの産業革命と同じ文脈で使うのではなく、それぞれが自立的に生きるために使おうよ、と。

個人個人がそれぞれ必要なものを、それぞれの手で扱うことのできる技術(道具)を用いて自家製造的に生産し、それを他者と共有することによって共生的に生きていくという考え方。
それによって社会の歯車としてではない、脱産業革命的な生き方・社会を築いていきましょうという考え方です。
ある意味では MAKER 的な文脈に近い考え方とも言えそうです。

またそういった社会を実現するためには、市井の人々それぞれが、「つくりたい」と思い立った時にそれを「つくれる」ようになるための力(新しい道具)が必要になってきそうです。


新しいマニュファクチュア

学校の授業で工業化の流れをを習った時、このように教えられたと思います。

一般的に工業の発展は、原始的な形態である「家内制手工業」に始まり、問屋からの発注により各家庭で製品を生産する「問屋制家内工業」、工場に労働力を集結させ手作業で製品を生産する「工場制手工業(マニュファクチュア)」への過程をたどり、その次の段階が、工場において機械により製品を生産する「工場制機械工業」である。

出典:Wikipedia (工場制機械工業)

「手作り」で「各家庭」で生産を行う「家内制手工業」。
「機械」を使って「工場」で生産を行う「工場制機械工業」。

その中間には、「手作り」で「工場」で生産を行う「工場制手工業(マニュファクチュア)」がありました。

この流れは生産効率性を求めて「各家庭」から「工場」へ生産の場の集約が行われたのちに、人力が機械に置き換えられていった歴史からなります。

ところが先述したコンヴィヴィアリティの概念に立ち返り、生産性よりも自立共生性を軸に再考した場合、「家内制手工業」と「工場制機械工業」のはざまに新しい「マニュファクチュア」の形を考えることができるかもしれません。

例えば 3D プリンタなどのデジタルファブリケーションツールなどを駆使した半機械的なアプローチを用いて、個人の自宅でプロダクトを生産し販売するような形態でビジネスをされている方も近年では増えてきました。

また、スタートアップ企業や既存企業の新規事業開発などでも、従来のような絨毯爆撃的に資本力を投入して市場のイニシアチブをとるようなスタイルだけでなく、少人数のチームで自家製造的にプロダクトを開発しグローバルニッチ市場に投入していくような形も増えてきています。

これらはつまり、
「手作り」→「半機械的」
「工場」→「自宅」
と、従来のマニュファクチュアとは各要素が真逆の形となる、新しい形態のマニュファクチュアと呼べるかもしれません。

そもそもマニュファクチュアという言葉はラテン語の
manus(手) + fact(作る) = manufacture
を語源としています。
市井の人々がそれぞれ自分たちの手で自分たちが必要とするものを作る。それらを市場に流しお互い使うことによって共生的に生活をする。
マニュファクチュアという単語がそういった新しい生産の形に適した言葉になりうると感じ、poipoi はこの言葉を屋号として掲げました。


マニュファクチュアとしてできること

では屋号「マニュファクチュア」として、これからどんなことをしていくべきかと考えた時に、こんな風に活動していけたらいいなという考えが浮かびました。

「つくりたい」を「つくれる」にするお仕事

先述の通り、人々が自立共生的に生産活動を楽しむには、「つくりたい」という思いを「つくれる」に変えるための新しい道具(力)が必要です。

3Dプリンタなどのデジタルファブリケーションツールが出て久しいですが、まだまだ一般的とまでは言いづらいですし、ものづくりに関わる知識は横断的でなかなか一人で全てをカバーすることが難しい状況ではあります。

「つくりたい」という思いがありながら何から手をつけていいのかわからない、どうやって作ればいいのかわからない。
そういった状況の方に向けて、「マニュファクチュア」がその思いを叶えるための力になるような、そんな活動をしていこうと考えています。

具体的には

デジタルインスタレーションをやりたいアーティストに向けてシステム制作を支援する

新しい商品をつくりたい企業に向けてプロトタイピングや量産化への橋渡しを支援する

専門的知識がない人でも使うことのできるプロトタイピングツールの開発とそれを使ったワークショップを提供する

専門的知識の習得を簡単にするスタディーツールの開発とそれを使った教育プログラムを提供する

のようなことを考えています。

ここらへんについては、機会ができたらもう少し詳しく紹介する記事を書こうかと思っています。

なんだか長くなってしまいましたが、結論としては、
みんなものづくり楽しいからやったらいいと思うよ。poipoi が手伝うよ。
ということです。

こういう簡単な結論に導くために長い文章を書きがちな性格なので、これからもこういった雑記を思いつくままに書きなぐっていけたらいいなと思っています。

それではみなさま、また今度。


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