VTuberと向き合う話 九条林檎というメンター

はじめに

VTuberというコンテンツを本格的に楽しむようになって2年近くが経ち、Twitterも手狭になってきたのでnoteで雑記を書いていくことにした。

今回は九条林檎というバーチャルタレントを見て受けた印象と言葉、それらを通して私がひとりのリスナーとしての生き方を覚えた話をする。

「極」「5様」との邂逅

2018年の冬のこと。
「バーチャルタレントオーディション極」というイベントが開催された。
5人のVの器が用意され、1人につき12の魂が覇を競う。
いまでも「バーチャル蠱毒」と言ったほうが通りがいいだろうか。

あまりにもセンセーショナルなイベントであり、普段はVTuberの話題なんてそうそう流れてこない私のTLにもその話は流れてきた。
当時Vといえばキズナアイや電脳少女シロくらいしか知らなかった私も、気がつけばオーディション視聴者として感情移入してのめり込んでいた。

だが、何事にも終わりはある。
本戦期間が過ぎ、あとは各人最終審査を待つのみとなったとき、私は燃え尽き症候群のような状態になっていた。
当時の「九条林檎No.5」通称「5様」、後の九条林檎が声をかけてくれたのは、そんな折である。

全員の枠を見ていたわけではなかったが、5様が「バーチャルタレントオーディション極」をとくに盛り上げた存在であり、当時ぶっちぎりで九条林檎の枠で無双しているということは知っていた。
エゴサの鬼であり、自分に関連するツイートにかたっぱしからリプライをしている存在だということも。
今ではVTuberのエゴサやリプ、いいねには慣れたものだが、当時は新鮮な感覚だった。
今思えば、間が良かったのだろう。
関心のある者を引き込むことに余念がない、リスナーを平等に扱ってくれるかただという印象を初手で抱いたことも、その後の私のVとの向き合い方に大きな影響を及ぼしている。

(参考:九条林檎様のツイッター ツイートから林檎様の雰囲気を掴んでみよう)
https://twitter.com/ringo_0_0_5

バーチャルタレント「九条林檎」

「バーチャルタレントオーディション極」の最終選考も終わり、5様は九条林檎、もとい林檎様としてデビューを果たすことになった。

吸血鬼と人間のハイブリッド・ティーンエイジャーの誕生である(2020年6月現在はハイブリッド・ハイティーン)

当時の私はオーディションに出演した魂のその後を見守りながら、林檎様の配信に入り浸っていた。
SHOWROOMはとくにトーク力が試されるプラットフォームだという印象を抱いているのだが、林檎様の配信はほどほどにのんびりと、さりとて飽きることなく楽しめるものだった。林檎様はYouTubeでも活動するようになったが、今でも楽しさはまったく変わりない。

(参考:YouTubeチャンネルの朝ラジオ「おはようマルクホルテ」 百聞は一見に如かず。林檎様の麗しい声とお喋りを楽しんでみよう)


そして私にとって最も重要な出来事、転換点とも言っていいエモーショナルが起こる。
林檎様が、デビュー直後の配信だったか、マシュマロへの返答だったか記憶は定かでないのだが(ソースを見つけ次第追記したい)

「我は商品だ。貴様らは我をコンテンツとして消費しろ」

こんな言葉をリスナーに向けて放った。

「コンテンツ」

VTuberが自分自身を「商品」とたとえるのはわりと珍しいと思う。たぶん。
だが九条林檎様に限っては、特に当時の林檎様に限っては珍しくもないことだった。
ご本人の意図はともかく、言葉を、リスナーの自由に解釈させるところがあった。
私は先ほどの言葉を受け取り、よく咀嚼し、感銘を受け、そして安心した。

ほかのコンテンツにも言えるが、VTuberを見ているとき、ある一人に注目し続けるというのは難しい話だ。
どれだけ魅力的な人間が相手であってもほかの誰かを見たいと思うことはあるだろう。
いっとき一押しにしたいという情熱を得ても、時期時期でその温度は上下するものだ。
なかなか配信に行くことができず、後ろめたい気持ちになることもある。
いろいろなことを思う。

だからこそ一人に飽きてもいい。また関心が出たら見に行ってもいい。
いろいろなVを見て回って飽きないようにしたほうが、リスナーとして楽しみ続けることに繋がる。
ときには別れもあるだろう。それでも楽しんだ自分には正直であれ。
VTuberもほかの媒体・ジャンルとなんら変わりはないんだよと言ってもらえた気がした。

もちろんこんなのは気持ちの問題で、自分で折り合いを付けるべきだという声もあるだろうし、先の言葉がなくともどこかの時点で自分で折り合いを付けていたのではないかと思う。
だが、だからこそ林檎様という存在が言葉にのせてくださったことがとても嬉しかった。

私が見ているものはすべて、何者にも代えがたい大切なコンテンツなのだ。

林檎様はほかにも、「長い目で見れば自分は変わるかもしれないこと」「指針にブレを感じさせてしまうかもしれないこと」など、ごくごく当たり前のそれをリスナーに丁寧に言って聞かせてくれた。不文律のような扱いを受ける事柄を、丁寧に。
今思えば、本当にいい人に間がよく最初に巡り合ったのだ。

その後

2020年6月。
私は自分なりにリスナーとしての考え方を持ち、VTuberの世界に飛び出しリスナー暮らしを楽しむことができている。
そのうえでの細かな考え方(対象にもよるし、変にも思われそうなマイルールめいたものもある)は今ここで書くことでもないだろう。
それらを構築するうえで九条林檎という存在が大きく影響し、とくに今回挙げた一言は毎日思い出すほどだということが伝われば嬉しい。

実家のような安心感、とはよく言ったものだが、私にとってのVの世界でのそれは林檎様のもとにあると言える。
また「実家のような安心感を持てる配信をたくさん見つける」ことも大事なことなのだと他ならぬ林檎様に教わった、と思っている。
私にとっての林檎様のような存在がいるリスナーさんはきっと幸せである。

大事なことを教えてくださったメンターたる林檎様。私はまた近々にマルクホルテに帰ります。

(了)

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