思い出は宝箱に

久々に考えに考え、ひたすら考えることに時間を費やしていた。

オタクとしての幸せ = 自分の幸せの大半
にしていないと思っていたけれど実はそうだったのかなーと思う。今まで気づかなかったし、私はそうでは無い と思い込んでいたけれど、実は該当者だったな〜と気づいた。しかもそれが 隠れ該当者なのだからいちばん怖い笑 理解しているなら良いのに、違う〜と思って当てはまってるのだから自覚していただきたかった笑

ただこの考え方も間違っていない。推し方に正解はなく、ルールの範囲内ならぜんぶ◎。それを改めて実感するとともに、自分はこうありたいな〜というのが漸く見えた時間だった。

私は、プライベートでも推しには幸せでいて欲しい。もしも推しの何かしらの発表で気持ちに変化があったとしたら、それが私の潮時なんだと思う。それまでの思い出は最高なもののままにしておきたいし、あの時に信じた推しを疑いたくない。そして信じて疑わなかった自分さえ否定しちゃうのは可哀想だから。あの時推しがキラキラに輝いて眩しかったことは間違いなくて、戻りたくなるくらい素敵で最高な思い出はそのままにしたいから。

そして、オタクとしての自分 を 自分のぜんぶ にするのは辞めた。自分の一面がオタク。推す時はとことん推す。違うことをする時は切り替える。知らぬ間に常にオタクとしての自分が出てきてたな〜と振り返って思う。私の場合、そうなると自分らしさが少し失われるのと、見える景色が狭くなってしまう気がして。自分の思ったことは大事にしたいし、なるだけフラットに生きて広い世界を見ていたいから。

考えて考えて考えてたら、やっとスッキリした。たまにはとことん考えることも大事だな〜と思った。引きずりやすい性格だから、ずるずるすることが多いけど、これでちょっとは解決するな〜と確信してる。

これだけは誰かの助けになるといいなと思って書きたいことが一つだけ。「推しに何かあった時に感じる “さみしさ” は 裏切られたとか 今までの自分を否定するものじゃないです。 “さみしさ” は推しを愛した証です。」ということ。さみしさを感じるくらい愛した証。だから、否定されて湧いた感情じゃない。悲しくなったり寂しくなったときは、とことんその感情に浸っても大丈夫。その後ゆっくり考えれば前を向ける。 そして どうか、どうか1人でも多くのオタクが いい方向に歩めることを願っています。 いい方向も人それぞれ!推し続けることも、新しい道を選ぶことも!自分が良いと思った道が正解だと私は思う!

推しが好きなように好きなことをできるように願う。その人の人生だから、その人らしく全うしてほしい。
私も好きに生きるから、好きに生きてね。幸せでいるから、幸せでいてね。そう思えるときが1番幸せ感じられるかな〜と思ったり。

綺麗事では飲み込めないことはいっぱいあるけれど、それでも自分の中に軸を置いておくことは大事なことだな〜と思う!推し事も、そうでないことも。その軸が変わることは当たり前だから、その時の自分の気持ちを真っ直ぐ受け止めて軸を作れれば立派だと私は思う。

そして私は一つの推し事に幕を下ろした。完全撤退ではないけれどね。そのことを少し書き留めておこうと思う。あの時、しんどくて辛くてそれでも頑張れたのは彼がいたからで、「○○のために頑張ろう」 の○○にいてくれたのは彼だった。今振り返っても応援していた時間がきらきら眩しく輝く時間であるのは紛れもなく彼のおかげ。私にジャニーズを教えてくれて、オタクの楽しさ、エンターテインメントの素晴らしさ、人として大事にしたいこと、書ききれないほどのたくさんのことを教えてくれた。感謝は尽きないな。寂しさを感じたこともあったけれど、ファンに真っ直ぐ想いを届けてくれて、ファンのことを第一に考えてくれる人であるからいつも救われていた。遠い存在に感じるけれど、近い存在に感じさせてくれる。でもやっぱり雲の上の存在で、ずっと手の届かない人。そんな彼がこれからも、彼らしく笑っていてくれることを心から願うし、世界一の幸せ者でありますように。みていると、私も頑張ろう、成長しようと思わせてくれる人。本当にありがとう。

全力で真っ直ぐに応援している時って一生続くわけじゃなくてやはりピークがある。その真っ只中にいる時は気づきずらいけど、推せる時に推せ というのはそういう意味もあると思う。 振り返った時にそこにキラキラ眩しく輝き続ける思い出があることを大切にしていきたい。オタクに義務はないし、どれもこれも自分のタイミングで良いということを忘れないようにしよう。彼の幸せを願うように自分の幸せを掴みにいこう。



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